道の話題 25「観光道路とパークウェイ~阿寒国立公園指定の立役者たち」

観光道路とパークウェイ~阿寒国立公園指定の立役者たち

 昨年来、新型コロナ禍の勃発で盛り上がっていたインバウンドのみならず国内旅行もままならず、北海道の基幹産業の一つ観光産業は想定外の苦境が続いています。
 観光に関しては、弊社が一端を担っている北海道の道路整備も観光振興を目的の一つとしている場合も多く、とりわけ「観光道路」は重要な役割を果たしてきました。
 観光道路は、通常、借入金で建設費用をまかない料金収入で返済するという手法で整備されますが、札幌市民には馴染み深い藻岩山観光道路(藻岩山観光自動車道)もその一つで、戦後の比較的早い時期 1958(昭和33)年の開通ですので、観光道路の草分け的存在と言えるかもしれません。
北海道大博覧会(1958年)の開催に合わせてロープウェイと同時に完成しましたが、今や日本の三大夜景(注)とされる札幌の夜景は、これらが整備されなければ日の目を見なかったことでしょう。 そして、この道路を建設したのは陸上自衛隊だったそうで、雪まつりの雪像づくりも含めて、自衛隊の札幌の観光への貢献には感謝ですね。
そして、1967(昭和42)年に支笏湖畔道路が開通しますが、道外でも1960年代には「やまなみハイウェイ」(別府温泉~阿蘇)、湯河原パークウェイ(箱根)、「ビーナスライン」(美ケ原高原)など、有名観光地の観光道路が次々に開通しました。

 一方、欧米では日本の観光道路に相当するパークウェイとかパークロードと言われる緑豊かな道路の整備が戦前から進み、特に米国では様々なタイプのパークウェイが整備されています。これらの道路は、いずれもレクリエーション専用道路で商用のトラックは通行禁止なので、幹線道路に並行する路線もあるようで、自然災害時には幹線道路の代替輸送路として活用されるだけでなく、爆撃被災時の代替輸送路という国防面での役割も担っているそうです。お国柄の違いを感じますね。

 さて、米国の「国立公園道路」は「プレジャー・ドライブ」すなわち「ドライブを楽しむ」道としてパークウェイが整備されていますが、日本の観光道路のルーツも国立公園の創設の歴史と被ります。
 実は観光専用道路という狭義の観光道路ではなく、観光を主目的とした広い意味での観光道路は、既に戦前に北海道で整備されていたのです。それは、1930(昭和5)年に広域観光道路として整備された「阿寒横断道路」です。大自然の中、北海道の阿寒湖と弟子屈町を結ぶ約40kmのこの道路は、北海道の自家用車所有率が1万人当たりわずか4~8台だった昭和初期に、それも観光目的で造られたというのですからまさに驚きです。
 そして、この時代に先駆けた大事業の立役者が当時の北海道庁釧路土木派出所長「永山在兼(ながやま ありかね)」でした。永山は、1921(大正10)年に道議会が阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖を包括する大公園計画の建議を採択したのを受けて、阿寒横断道路を着想し、道庁の反対論を押し切って予算を獲得しました。工事は「477曲がり道路」というその名の通り危険と困難を伴う難工事だったようですが、着工からわずか3年で開通に漕ぎつけました。そして、1934(昭和9)年に日本で最初の国立公園の一つとして阿寒国立公園が誕生するのですが、残念なことに永山はこの工事に当初予算のほぼ倍の経費を投じた責を問われ転勤させられました。その指定の中心人物で後に「国立公園の父」とも称された田村剛博士が「阿寒横断道路なしにはこの指定はなかった」と述懐していることを知ると、今も昔も変わらず偉業が報われるとは限らないということかもしれません。
 ちなみに、阿寒国立公園の指定には、鹿児島出身の前田正名(まさな)という自然保護に熱心だった資産家が、阿寒湖一帯を「スイスに勝るとも劣らない景観」と絶賛し個人で所有していた阿寒湖周辺の広大な森林(注2)を保護していたことが大きく寄与したようですが、永山在兼も同じく鹿児島出身。「北海道は日本の宝蔵」と評した幕末の傑物 薩摩藩主「島津斉彬」が敷いた布石に導かれた、北海道開拓使初代長官「黒田清隆」、サッポロビールの創始者「村瀬久成」といった薩摩隼人たちの北海道での活躍に思いを巡らすと鹿児島出身者に対する敬愛の念が湧いてきます。

 大学生時代(1970年代後半)に北海道を旅行で3度訪れましたが、当時の若者の旅の定番スタイルは大きな平たいリュックを背に国鉄周遊券を片手にユースホステルなどの安宿を巡り歩くというもので、その姿から「カニ族」(今のバックパッカー)という言葉が流行りました。
そんな旅は遠い昔の懐かしい思い出以外の何物でもありませんが、早くコロナが収束して、普通に年相応のフルムーン旅行(これも死語?)を楽しみたいと想う今日この頃です。

(注1)(一社)夜景コンベンションビューローのアンケート調査「日本の美しい夜景ランキング」
1位 長崎市;2位 札幌市;3位 北九州市
(注2)前田正名の阿寒湖周辺の土地資産は(一財)前田一歩園に引き継がれ、前田家が森林保全・環境教育活動を実施。

(参考資料)「広域観光のための道路が戦前にできたのは、なぜ?」(北室かず子;北海道学新聞第2号)

(文責:小町谷信彦)
2021年1月第1号 No.89号