道の話題 26「オリンピックと道路・都市」

オリンピックと道路・都市

 新型コロナ感染が世界的に蔓延する中、一年延期された東京オリンピックが、予定通りに開催できるか否か、トップアスリートや大会関係者ならずとも気になるところです。
 東京オリンピックの経済的波及効果は様々な予測がありますが、前々回の2016年ロンドンオリンピック・パラリンピックで2004~2020年に誘発された英国全体での生産額は約3兆2300億~4兆9300億円(英国文化・メディア・スポーツ省による推計)とされていますので、相当な規模になることは間違いありません。開催を見込んで既に巨額の投資がされていますので、中止となれば影響甚大で判断の難しいところでしょう。

 さて、1964年の前回東京大会では開催に合わせて首都高速道路などの都市基盤の整備が飛躍的に進み、東海道新幹線も完成しましたが、このようなオリンピック効果は多くの開催国で見られます。
 2008年の北京オリンピックでは、開催までに地下鉄や高速道路が整備され、奇抜なデザインで注目された9万人収容のメインスタジアム「鳥の巣」は中国の発展を世界に強く印象付けました。
 古くは戦前1936年、ベルリンオリンピックの前に建設が始まったアウトバーン(独語で「自動車専用道路」)は、速度無制限の高規格な道路として外国人の目を驚かせました。アウトバーンはオリンピックのために建設されたわけではなく、当時のヒットラー率いるナチス政権が世界恐慌後の失業対策で始めたもので、軍用機の滑走路、トンネルの格納庫としての利用も想定した軍事的側面も色濃いものでしたが、その後、高速道路の世界の見本となりました。そして、車の利用者が自転車利用者の七分の一にすぎない時代に高速自動車道路網の整備と併せて自転車の通行を自転車道路に限定する車優先の法律を制定したのは、独裁政権ならではの強権的施策ではありますが、将来のモータリゼーションを予見したという点では画期的と評価できるかもしれません。(注1)

 ところで、聖火リレーを初めて実施したのはこの大会でした。今やオリンピックには不可欠の聖火リレーは、オリンピック記録映画史上の最高傑作とも謳われるレニ・リイフェンシュタイン女史監督の「オリンピア」で一躍世界の注目を集めました。ただこの聖火リレー発案の裏には軍の進攻ルートの偵察というヒットラーの策謀があったという説もあります。また、ヒットラーはオリンピック終了まで従前の人種差別政策を控え、選手村の村長やドイツ選手団の団長にユダヤ人を抜擢するなどの巧妙な演出により世界を欺き、過去最大の参加国を集め、10万人収容の大スタジアムを連日沸かせた盛大な大会はドイツのメダル独占によりドイツの国威発揚のための大会となりました。古代オリンピックが、戦時のギリシャ都市国家が一時的に休戦し、共に神ゼウスを讃える「平和の祭典」だったこととその後のヒットラーの暴走を考えると複雑な気持ちになります。

 余談ですが、かつてオリンピックに「芸術競技」という種目があったことをご存知でしょうか?
 これは、絵画や音楽、文学といった芸術作品や建築の制作を競うもので、「肉体と精神の向上の場」を理念とする近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の希望により1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで実施されました。しかし、採点基準が定め難く、判定が恣意的との批判が頻出し、正式競技から外されたとのことです。
 また、当初は男性だけが全裸で競った古代オリンピックに倣い、女性は参加できなかったとのこと。今に至るまでには色々変わってきたのですね。

 さて、今回の東京オリンピックでは、酷暑の中でのマラソンが問題視され、コースとなる道路への遮熱性舗装の導入が検討されました。これは、赤外線を反射させる遮熱性樹脂の舗装表面への塗布や遮熱モルタルの充てんにより路面温度を下げる舗装工法で、夏期に10℃以上の温度低減効果があるとされていますので、これを契機にヒートアイランド化が著しい東京や大阪などの大都市での本格的な導入が期待されます。

 また、前回の東京オリンピックの負の遺産、日本橋に覆い被さる高架の首都高速道路ですが、江戸の玄関口「日本橋」の景観再生のために道路を地下化する事業が動き出しました。
 前回大会は、東京の都市機能目覚ましい充実の契機となりましたが、今回は風格ある東京へと変貌し、成熟都市としての魅力を増し加えていくようなエイジングの契機となることを望みたいものです。
 東京の魅力はアジア的な混沌、猥雑な活力と外国人から評されたりしますが、それは大事な個性として残しつつも、日本の首都として誇れる美しさや風格を望むのは高望みでしょうか?いつの時代か、パリやロンドン、ローマなどに匹敵する都市と言われるようになりたいものです。

(注1)自動車専用道路を最初に建設したのはイタリアで、ムッソリーニ政権の時代、1924年から「アウトストラーダ(通称「太陽道路」)の建設を開始。ドイツはこれに倣ってアウトバーンの建設を本格的に実施した。

(文責:小町谷信彦)
2021年2月第1号 No.91号