道の話題 3「シルクロード VS 塩の道」

シルクロード VS 塩の道

「交易の道」というと多くの方が思い浮かべるのはシルクロード。1980年に放映されたNHK特集や平山郁夫のエキゾチックな絵画をご覧になって、現代のロマンだと感動された方もおられることでしょう。「草原の道」「オアシスの道」「海の道」という三者三様の壮大なスケールの道は、西洋と東洋とを繋ぐ文明の回廊としての歴史的な意義だけではなく、そこで繰り広げられたであろう数々の人間ドラマを想い起させます。
ところで、我が国は、シルクロードの最果ての地、朝鮮半島を経て摂津の国(現在の大阪市住吉区)を玄関口とした飛鳥京や平城京が東の終着点なのです。奈良の正倉院に数多く残る中国製やペルシャ製の宝物はその証拠品です。仏教を始め、様々な大陸の文化や技術がこのグローバルな交易路を経て伝来したことを考えるとシルクロードが我が国のDNA形成に多大な貢献をしたことは間違いなさそうですが、いいことだけではありません。
外敵の侵入から無縁の辺境の島国日本にとって有史以来初めての国難だった室町時代の元寇(げんこう)は、元の初代皇帝クビライ・ハーンが、東シナ海、南シナ海からジャワ湾、インド洋を結ぶ「海の道」の制海権を握るために起こした戦争で、大国の野望に我が国も翻弄されました。近年のお隣の大国の不穏な動向を眺めていると地政学的な我が国の位置づけはいつの時代も基本的には変わらないようですね。

一方、日本国内での歴史的な「交易の道」と言えば、山と海の島国ならではの「塩の道」。シルクロードと比較するとスケールは格段に小さいのですが、欧州や中東のように岩塩がほとんど採れない日本の内陸地域では、生活必需品である塩を海岸地域からの供給に頼らざるをえず、古来、各地に内陸と海岸部を結ぶ「塩の道」は、文字通りのライフラインとして造られてきました。そして、「塩の道」では、海からは塩だけでなく海産物などの「海の幸」が、そして山からは山菜などの産物のほかに木材、黒曜石などの鉱物といった広い意味での「山の幸」が相互に行き来していたのです。この「塩の道」の中には、越後の上杉謙信が「敵(信州の武田信玄)に塩を送った」という故事の舞台ともなった千国街道(ちくにかいどう;糸魚川~松本)や千葉産の塩の運搬路だった中山道のほか、甲州街道、三州街道など、現在も主要国道として地域のライフラインとなっている道も多くあります。また、太平洋側の遠州と信州を結ぶ秋葉街道の終着点の「塩尻」(長野県)の地名の由来「塩の道の尻」や千国街道の「塩買坂」(静岡県菊川市)、「塩町」(静岡県掛川市)といった地名は、「塩の道」としての歴史の名残を今に留めています。

「シルクロードをたどる浪漫の旅」といった海外旅行のパンフレットを見かけると思わず心そそられるものがありますが、身近なところで「塩の道をたどる旅」を「現代と過去を結ぶ歴史の道」として見ると、興味深いものがありますね。(N.K)

                                2018年3月3号