道の話題42「行幸通と行啓通」

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 「行幸(「ぎょうこう」」とか「行啓(ぎょうけい)」という言葉は、私のようなシルバー世代でもあまりピンとこないので、ましてや若い世代なら初耳という方が多いかもしれません。
 「行幸」とは、天皇が皇居を出て、どこかに出掛けることで、古代には「行幸(みゆき)遊ばされる」という風に使われていました。
一方、「行啓」は、天皇の近親者が出掛けられることを指し、近親者とは、太皇太后(天皇の祖母)、皇太后(天皇の母)、皇后(天皇の妻)、皇太子(天皇の後継者=長男)、皇太子妃(皇太子の妻)、皇太孫(天皇の孫)とのこと。例えば、秋篠宮(天皇の弟)が出掛けても行啓ではない、ということです。

 今でこそ天皇は日本国民の象徴で、天皇家も開かれた皇室ということで身近になってきましたが、戦前、天皇は現人神(あらひとがみ)とされていたので、「天皇がお出まし」となると一大事だったのでしょう。それを物語るものとして色々な地名が全国に残っています。その一つが「行幸通」、「行啓通」です。
 「行幸」にちなんだ道路は、明治天皇が行幸した際に「御幸(みゆき)道路」と命名された伊勢神宮への参道、昭和天皇が戦前、陸軍士官学校の卒業式に行幸するために作られた東京都町田市・在日米陸軍キャンプ座間間の「行幸道路」、明治天皇が練兵所での閲兵式に行幸した兵庫県姫路市の「みゆき通り」、東京の新橋演舞場と日比谷公園を繋ぐ「みゆき通り」、と各地にあります。
 しかし、何と言っても一番有名なのは、東京駅の丸の内中央口から皇居前内堀通りを結ぶ「行幸(ぎょうこう又は、みゆき)通り」でしょう。東京駅から皇居に向かい立つと目に飛び込むのは、銀杏並木が整然と並んだ、幅73メートル、長さ190メートルの威風堂々とした通り、その先に広がる皇居前広場の豊かな緑は心を和ませてくれます。まさに、わが国の首都東京の顔として相応しい絵になる風景です。2018年にグッドデザイン・ベスト100に選出されたのも頷けます。
 またこの通りの素晴らしいのは、車道として利用されるのは、皇室行事と外国大使の信任状捧呈式(ほうていしき)の馬車列が東京駅から皇居に向かうときだけで、普段は歩行者専用の空間なので、ゆったりと散歩を楽しめるのです。

 一方、「行啓通」も各地にあります。
弊社の地元北海道で札幌っ子になじみ深いのが幌平橋から南14条を西に走る「行啓通」です。正式名称「南14条中央線」を知る人はほとんどおらず「行啓通」で通っています。
 この道路名は、明治44(1911)年に当時皇太子だった大正天皇が山鼻屯田兵の農作業をご覧になるために行啓され、その際に道路拡幅したことに由来します。実は、その30年前に明治天皇も同じルートで行幸され、一時休憩を取られた場所の近くには「南35条みゆき公園」、その周辺には「みゆき通り」があり、当時の名残りを留めています。
 また函館の道道五稜郭公園線も、地元では「行啓通」と呼ばれていますが、大正11(1922)年に後の昭和天皇が摂政官時代に行啓されたことがその由来です。余談ですが、戦後、後の平成天皇も皇太子として行啓され、湯川の若松旅館に宿泊され、イカ刺しを召し上がられたそうです。

 さて、道路以外でも行幸の痕跡は残っています。
 行幸村・行幸橋・行幸湖(埼玉県幸手市)、御幸ノ浜(神奈川県小田原市)、御幸台(千葉県船橋市)、聖蹟桜ヶ丘(「聖跡」は「行幸」の意;東京都多摩市)等々、探せば色々あるものですね!
 良くも悪くも、かつての日本では天皇家はどれだけ特別士視されていたかをうかがい知ることができます。
今、私達が当たり前と思っている、自由と平等の価値を、時には再認識する必要があるのかもしれません。

2024年6月第2号No.147
(文責:小町谷信彦)