道の話題 27「北海道発の道路技術・プロジェクト」

北海道発の道路技術・プロジェクト

 北海道のイメージを道外の方に尋ねると大自然、美味しい食べ物、そして雪という答えが多く返ってきます。
あたかも北海道のことは任せておけ!と毎回コラムを書いている私、実は道産子ではないことを白状いたします。しかし、北海道への愛着は人一倍かもしれません。その原点は、50年近く前に初めて北海道に出会い、クリスマスツリーのようなエゾマツやトドマツ、そして煙突の付いた色とりどりの三角屋根が織りなすエキゾチックな風景に感動した体験です。
 しかし、この北国の雄大な自然とニセコを世界ブランドに仕立て上げた雪は北海道の大きな魅力であると同時に日々の生活で様々な困難を生み出す克服すべき対象でもありました。
「必要は発明の母」とは使い古された諺ですが、道路に関しても北海道特有の必要から生み出され、全国に広がった先駆的な技術やプロジェクトが数々あります。その幾つかをご紹介しましょう。

 北海道の道路の大きな課題の一つは毎年膨大な経費と労力を要する除雪ですが、道路づくりにおいても寒冷な気候による凍上、すなわち土中の水分が凍って地面が盛り上がり、舗装にひび割れが生じるという問題があります。春先に顕著になりパンクの原因になることもあります。

 戦後間もない1953(昭和28)年に完成した国道36号札幌・千歳間、いわゆる「「弾丸道路」の建設は寒冷地問題に対応した様々な技術の開発だけではなく大規模機械の使用による施工の効率化など、近代的道路工事の先駆けとなる画期的な工事でした。
 時は朝鮮戦争の最中、米駐留軍の軍事用道路として使用するために13か月という短期間で13.5kmの道路を完成させることが至上命題でした。そこで、当時は一般的だったコンクリート舗装ではなく施工性に優れたアスファルト舗装を採用するのですが、これにはアスファルト舗装の方がコンクリート舗装より安価でメンテナンスも容易なことから北海道の道路舗装に適するという判断がありました。そしてこの工事以降、アスファルト舗装が日本全国の道路舗装の標準になったのですから日本道路史に残る工事と言っても過言ではないでしょう。
 また、凍上対策としての凍上抑制層の設置や堆雪スペースを考慮した広幅員の設計等、現在の積雪寒冷地の道路づくりの礎ともなったのです。

 次に北海道の大自然と道路との関わりという観点から考えてみましょう。明治の開拓期以降、北海道の開発の歴史は、大自然の脅威、例えば河川の氾濫や耕作に不適な北海道特有の泥炭地との闘いでしたが、それは弊社WEB「北海道の土木のパイオニアたち」に先人たちの偉業をご覧になって頂くとして、ここでは北海道発の「自然と調和した道路づくり」についてご紹介します。

 まず取り上げたいのは、戦前に遡りますが、日本の観光道路の先駆けとなった阿寒横断道路です。
 この道路は、北海道では車がほとんど走っていない時代に、米国に倣って導入が決まった国立公園を阿寒にも誘致し、将来的に阿寒湖や摩周湖などを周遊する広域観光を実現しようという遠大な構想の下に作られたもので、日本の観光道路の整備が戦後の昭和30年代以降になってようやく盛んになったことを考えると実に時代を先取りしたプロジェクトだったと言えるでしょう。

 次に思い出されるのは、1969(昭和44)年に完成した国道230号定山渓・中山峠間、いわゆる「定山渓道路」です。これは、景観工学の第一人者篠原修氏からシビックデザインの見本と絶賛される自然環境と調和した道路の先駆けでした。
 このプロジェクトを主導したのは、当時の北海道開発局定山渓道路改良事業所長 大谷光信氏ですが、師と仰ぐ高橋敏五郎氏(弾丸道路建設を主導;初代北海道開発局札幌開発建設部長)から授かった「道路は公園と同じで、通ることによって心が和むようにつくられ、維持されなければならない。」という言葉を設計理念として、①冬の安全通行、②複雑な地質を構造技術で克服、③国立公園にふさわしい道路を目指したとのことです。
日本で初めての緩和曲線(クロソイド曲線)の採用、最小限の造成による環境保全への配慮、そして、ルーバー形式の定山渓トンネル、片持式の仙境覆道、緩勾配の切土、現地で発生した石材の使用による意匠の統一など道路を地形や周囲の自然と調和させる創意工夫がふんだんに盛り込まれています。

 そして、1988(昭和63)年に策定された「オートリゾートネットワーク構想」は、快適なオートキャンプ場を核とした低廉な複合レクリエーション施設「オートリゾート」を道内各地に整備し、幹線道路ネットワークを利用して北海道周遊観光を楽しんでもらおうというもので、全国のオートキャンプブームの火付け役となりました。

 さらに2007年には、「シーニックバイウェイ北海道」が始まりました。
「景観の」(Scenic)「脇道・寄り道」(Byway)」という米国で始まった施策を北海道開発局が北海道に合わせて作り替えたプロジェクトなのですが、地域と行政が連携して景観や自然環境に配慮した沿道景観の創出を図るという個性的な道路・地域づくり施策です。
そしてこのプロジェクトは国土交通省が「日本風景街道(Scenic Byway Japan)」として全国で展開するきっかけとなるものでした。

 さて、次は北海道から何が飛び出すのでしょうか?
 日本の未来を拓く、夢のある話を期待したいものです。

(参考)
1)弾丸道路が積雪寒冷地の舗装技術に与えた影響について~一般社団法人北海道舗装事業協会常務 理事 安倍隆二
2) 道の話題 4「弾丸道路と黄金道路」 
3) 道の話題 25「観光道路とパークウェイ~阿寒国立公園指定の立役者たち」 
4) 道の話題 6「北海道らしい道路」  
5) 道の話題20「オートリゾートネットワークとシーニックバイウェイ北海道」 

(文責:小町谷信彦)
2021年2月第2号 No.92号