道の話題23「アスファルト(瀝青)の歴史」

アスファルト(瀝青)の歴史

道路の舗装というと日本ではアスファルトと相場が決まっていますが、欧米では、最近でこそアスファルトが増加傾向とはいえ、主流はコンクリート舗装とのことです。
特に米国は、超重量級の大型トレーラーが多く、アスファルトよりも強度や耐久性に優れ、灼熱の乾燥地帯にも耐えるコンクリート舗装が普及したようです。
一方、日本では、車の走り心地の良さというよりも、劣悪だった全国の道路の改良を低廉な予算で短期間に進める必要という時代背景から、工事費が安く工期も短いアスファルト舗装が選ばれたようです。
さて、このアスファルトは、いつ頃から使われるようになったかご存じでしょうか?
実は、今から4500年程も前に旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」で「瀝青(れきせい)」と呼ばれる天然アスファルトが防水材として使われていました。
現代において「瀝青」と言うと、道路の舗装面の基礎部分、いわゆる路盤を造成する工法である瀝青安定処理の際の材料として使われるアスファルトやタールなどで、石油から人工的に作られるものというイメージが強いのですが、天然の瀝青が存在したのです。
ところで、ノアの箱舟はその作り方に関して、神からの指示として、内側と外側に瀝青を塗ることのほかに、やに質の木材(おそらく糸杉)の使用や、上から45センチの所に採光窓を付けるように、といったことが細かく聖書に書かれています。
ちなみに、形状寸法についても、長さ134m、幅22m、高さ13mと指定されていたのですが、船舶工学の専門家によると、この縦・横・高さの比率10:6:1は、水に浮かび漂うだけの箱舟の場合、耐波性という点で理想の比率なのだそうで、何とも興味深い話です。

そして、アスファルトの歴史はバビロニアの時代に続きます。
天まで届く高い塔を建てようという人間の思い上がった野心に腹を立てた神が、人々の言語を混乱させて、工事を空中分解させた、という「バベルの塔」は、「石の代わりにれんがを、モルタルの代わりに瀝青を使った」と聖書に記述されています。
すなわち、瀝青がレンガの接着剤として使用されていたのですが、一方、ほぼ同時代のバビロンの空中庭園の庭はアスファルトが敷き詰められていたと言われています。
瀝青は中東の死海で産出され、湖面に浮かんできた巨大な塊を古代人が利用したということだったようですが、遊牧民によってエジプトにも運ばれ、ピラミッドの建造のための道路を固めたり、ミイラの保存剤として活用されました。
現代とは異なって、随分、いろいろな使われ方をしたのですね。

では、日本のアスファルトの歴史はと言うと、時代は江戸時代の末期に飛びます。
1863年の長崎のグラバー邸内でのコールタール舗装が端緒で、本格的なアスファルト舗装の第1号は、1878年(明治11年)の神田昌平橋(東京)の橋面舗装とのことです。
この舗装には、当時「土瀝青」と呼ばれた豊州油田(秋田県)産出の天然アスファルトが使われ、人工アスファルトが登場するのは、大正時代に日本でも工場生産が始まってからでした。
当時の日本の道路事情は相当に劣悪で、1918年(大正7年)に来日した米国経済使節団が「とても道路と言えるものではない」と評したとか。
それでも、翌年「道路法」が制定され、国策としての道路の舗装、改良が本格化し、さらに1923年(大正12年)の「関東大震災」が東京の都市改造の契機となり、震災復興事業で昭和通り、靖国通り、京浜国道など、現在の東京の幹線道路網の一部となる高幅員道路が整備されました。そして、急速にアスファルト舗装は進むのですが、それも束の間、太平洋戦争に突入し、空襲による全土荒廃の果てに終戦を迎えます。

さて、アスファルトとの付き合いの短い日本ですが、戦後、サーキットとしては世界的にも珍しいアスファルト舗装で鈴鹿サーキットを作り上げ、国際的にも高い評価を得るまでになりました。
しかし、日本の高速道路の舗装の手本ともなったこの日本初のF1サーキット誕生の裏には、当時の欧州視察団が靴ベラで削って持ち帰った先進サーキットの舗装の断片を頼りに一からカーレース最高峰の舞台を作り上げた舗装技術者たちの情熱と汗があったことを忘れないようにしたいものです。

(補記)戦後の道路史に関しては、一つのトピックスとして北海道の弾丸道路が挙げられますが、本ホームページのオピニオン及びコラムでも話題としていますので、ご関心のある方は是非ご一読ください。

オピニオン「弾丸道路が積雪寒冷地の舗装技術に与えた影響について」

弾丸道路が積雪寒冷地の舗装技術に与えた影響について~一般社団法人北海道舗装事業協会常務理事 安倍隆二

コラム道の話題 4「弾丸道路と黄金道路」
https://www.kusanosk.co.jp/trivia/column/road/4524

 

(文責:小町谷信彦)
2020年4月第2号 No.74号