車が走れない道路
「道路は道路でも人は歩けず、車も走れない道路、何だ?」
子供の謎々?ではありません。至って真面目な質問です。
答えは、「海の上の国道」です。もちろん、橋が海の上をまたいだ国道ならば車は走れますので、何もない海の上にある国道ということなのですが、我が国の国道459路線の内、何と24路線にも海上の国道区間が存在するのです。島国ならではとも言えそうですが、どういうこと?と不思議に思われた方も多いことでしょう。その謎は、道路法の「道路」の定義を読むと解明されます。道路法では、「道路とは(中略)トンネル、橋、渡船施設、道路用エレベーターなど道路と一体となって(中略)当該道路に付属して設けられているものを含む」とされ、渡船施設で海を渡る航路も国道路線の一部として位置づけられていたのです。ちなみに、我が国最長の海上国道は鹿児島市から種子島や奄美大島を経由して沖縄の那覇市に至る国道58号線で、総延長の約7割、610kmが渡船区間を占めています。
一方、「車は通れず人だけ歩ける」国道区間も全国には少なからずあります。
青森県の竜飛崎灯台の入口付近388mは、国道が階段という変りものです。何故こんなことになったかというと、村道の階段が県道に昇格する際に「役人が現地を見ずに地図上で指定した」という俗説や、「青函トンネル工事のためのバイパス道路の計画があり、階段と知りながら暫定的に国道に指定した」という説などがあるようですがことの真偽は不明。しかし、その後、車両通行可能な迂回路に国道の指定変更をしようという動きが出た際に、地元がこの世にも珍しい「階段の国道」を観光資源としての活用したいと要望し指定変更を中止させたとのこと。今やマスコミによる紹介、さらには流行りのSNSや動画サイトでの紹介なども相まって、津軽の観光名所の一つになっているのです。まるで「瓢箪から駒」のような話ですね。希少価値が受ける時代のトレンドを先読みして観光地化に成功した地元の方々の先見の明に敬服です。
さて、「道路」という言葉の語源をたどってみると、3世紀前半に中国から日本に伝えられ、「魏志倭人伝」の中で中国からの使者が見た当時の日本の道は、「道路は禽鹿(きんろく)のこみちの如し」と述べられているとのこと。中国の人達には中国全土に張り巡らされた皇帝専用の馬車道が「道路」で我が国の道は「けもの道」にしか見えなかったようです。
今から40年近く前ですが、EUの前身のECが経済報告書の中で日本の住宅をウサギ小屋と表現して日本のマスコミが大騒ぎしたのを思い出してしまいましたが、小さな島国の悲しさ、大きければ良いというものでもありませんが、大陸と比べてスケールの小ささをネタにされるのは、今も昔も変わらないと言えるのかもしれません。(N.K)