道の話題 14「東海道の今昔 ~駅伝と飛脚~ 」

東海道の今昔 ~駅伝と飛脚~

今年も残すところ数日。明けて正月の2日、3日は、熱燗をたしなみながら、あるいはミカンを頬張りながらテレビで箱根駅伝観戦という方も多いのではないでしょうか?
今から丁度100年前にオリンピックに向けての長距離・マラソン選手強化対策として誕生したこの大会は、1987年に始まったテレビ実況中継のお陰ですっかりお正月の国民的行事として定着しました。往復約217kmの道のりで繰り広げられる、若い力の熱き闘いは、見ているだけでパワーが乗り移るような錯覚を覚えたりしますが、とりわけ往路最終区間の5区、「天下の険」箱根山の厳しい上りで生み出されるドラマが、数ある駅伝の中で箱根駅伝を特別なものにしている所以なのかもしれません。それは、大会最優秀選手に贈られる金栗四三杯がこれまでの多くの大会でこの5区の区間賞のランナーによって占められていることからもわかります。

ところで、駅伝のルーツは? というと元々は「飛脚」と言われています。
現代のように自動車も鉄道もなく、電話はおろか郵便もなかった江戸時代には、飛脚と呼ばれる健脚な配達人が手紙や小荷物を走って運んでいたのです。しかし、さすがに一人の人だけでそんな長距離を早く走れるはずもなく、江戸幕府は街道沿いの各宿場に飛脚を置いて、手紙や荷物をリレーして目的地に届けたということです。要するに、飛脚が仕事でしていた長距離リレーをスポーツ化したのが駅伝ということなんですね。

さて、箱根駅伝の主な舞台となる国道1号線は、ご存知の通り江戸時代の東海道。
江戸時代には、大勢の飛脚が東海道53次の宿場を利用してここを行き来していたようです。その飛脚の始まりは、幕府が江戸に開かれた際に、江戸と京都の間の公文書のやりとりのために使った「継ぎ飛脚」で、やがて大名たちも自前で「大名飛脚」を使うようになり、さらに一般の人達の手紙や小包を運ぶための民営の「町飛脚」も誕生したとのこと。
では、飛脚は何日くらいで走ったかというと、最短では江戸~大阪間570kmを丸二日というのですから驚きです。もっとも、この超速達便のお値段、現在価格にして約140万円という驚き価格です。ちなみに、飛脚の料金設定は中々細かくて、江戸~大阪を丸九日で運ぶ場合、出発日が不定期の普通便は約600円、定期の幸便は約1200円、それが丸七日になると約2000円、丸六日では約3000円、丸五日は約32000円と速達になればなるほど料金はうなぎ上りになるシステム。侍の時代にもこんな宅配便があったんですね!

それにしても、最速飛脚の走行スピードを計算すると平均時速12km、これはマラソンのトップランナー(時速20km)の3分の2のスピードで、比較的平坦な舗装道路を走る現代のマラソンとは違って、デコボコの田舎道を足袋で荷物を担いで、山を越え、川を渡り、真っ暗な夜道は提灯を片手に走ったのですから、これぞ韋駄天(いだてん)というランニングシーンが想像できます。
日本のマラソンの原点は飛脚にあり、なんて連想も浮かんできますが、江戸時代に女性飛脚がいたという話はとんと聞いたことがないので、日本の女子マラソンの強さの秘密は、また別のところにありそうです。

(文責:小町谷信彦)
2018年12月第4号 No.49