土木の話題 15「土木が縮めた世界」

土木が縮めた世界

皆さんは、時間地図をご覧になったことはありますか?
時間地図とは、距離ではなく基準とする場所から各々の場所までの移動に要する時間を基にした地図です。例えば札幌駅から公共交通機関で日本各地に行くのにかかる時間を地図化したもので、普通の地図と比べるとかなり変形して歪んだ形になります。
この時間地図では、飛行場に近い都市は実際の距離より極端に近く、逆に徒歩でしか行けない例えば羊蹄山の山頂などは距離的に近くても遥か遠くになります。

さて、最近の世界地図を眺めると、昔学校で習った時にはなかった初耳の国が結構あるのに驚かされますが、都市や山脈は今も昔も変わりません。
しかし、時間地図は二百年前と現在とでは大きく様変わりしているに違いありません。
それは、交通手段の飛躍的発達により時間軸で見た世界が時代と共に加速度的に狭くなったためですが、これには土木も大いに関わってきたと言えそうです。
とりわけ、1869年のスエズ運河の開通と1914年のパナマ運河の開通は世界航路の革命で、人と物の流れを大きく短縮して地球を一気に縮めました。
スエズ運河の開通は、横浜・ロンドン間の航路を例に取ると、それまでのアフリカ南端のケープタウン経由よりも約6,000km、24%も距離を短縮しました。
それに続くパナマ運河開通は、さらに世界を狭くしました。
例えば、ニューヨーク・サンフランシスコ間航路は、南米の南端ホーン岬経由で21,000kmだったのが、パナマ運河経由では8,500kmと60%も短縮されました。
しかし、パナマ運河の建設の道のりは、紆余曲折、困難を極め、着工から完成まで34年もの歳月を費やしました。
長さだけを比べると全長80kmのパナマ運河は全長164km(当初開設時)のスエズ運河の半分なのですが、フランス人レセップスが駐エジプト大使時代の人脈を活かして建設利権を取得してからわずか15年で工事の完成を見たスエズ運河とは対照的でした。
それというのもスエズは、古代エジプトの時代からナイル川と紅海を東西につなぐ「ファラオの運河」と呼ばれる運河が築かれ、ペルシャ時代にも運河建設は引き継がれ、近代にはナポレオンも古運河の遺構発見や近代的運河の建設の検討に熱心に取り組んだという歴史的な下地があったのです。また、スエズ運河の工事では、フランスと険悪な関係だった英国からの妨害やエジプト人の奴隷的な強制労働に対する非難も受けましたが、ものともせず豊富な労働力を背景に工事は順調に進んだようです。

一方、パナマ運河には、最も標高の高い運河中央部に位置するガトウン湖までの高低差26mを船で遡らせるという極めて技術的に難しい課題がありました。
パナマ運河の建設はカリフォルニアのゴールドラッシュを契機に何度も計画されるも実現せず、ようやくスエズ運河の実績を携えたレセップスによりフランス主導で始まりましたが、黄熱病の蔓延、工事の技術的問題と資金調達で行き詰まりあえなく撤退。
それを引き継いだ米国は運河の管轄権獲得のため、管轄権を持つ自治領コロンビアからの独立運動を支援してパナマ共和国を誕生させ、1904年に工事を開始しました。
そこでまず、米国は黄熱病などを媒介する蚊を徹底的に駆除して疫病の根絶を図り、また、大規模な閘門(こうもん)を築造し水位を上下させることにより船を階段状に上げ下げするという手法で技術的課題も解決したのです。

そしてこの時、マラリヤに侵されながら慣れないジャングルの中で奮闘し、閘門の築造などで重要な役割を担ったのが日本人技術者の青山士(たかし)なのです。彼は、帰国後には荒川放水路や信濃川大河津分水路の工事を指揮し昭和初期を代表する土木技術者として知られることになります。
後日談ですが、晩年青山は、太平洋戦争中、敵国アメリカの艦船の動きを封じるためにパナマ運河の爆破計画を立案していた大日本帝国海軍からパナマ運河についての情報提供を求められた際にこう答えて、土木技術者としての良心を示したと言われています。
「私は造ることは知っているが壊し方は知らない」「せっかく皆で苦労して造ったのだから、そっくりそのまま貰うことを考えたらどうじゃ」と。
命がけで運河建設に挑んだ情熱とこの潔さは、「士」という名に違わぬ「さむらい」精神から出たものなのかもしれません。

さて、青山士は無教会主義のクリスチャンだった内村鑑三の影響で私利私欲のためではなく広く後世の人類の為になる仕事をしなければならないと考えていたとのこと。
青山の師である廣井勇*注)も私利私欲のためでなく世の中のために何ができるかを常に考えた結果、明治期の貧しかった日本の人々の生活と心を工学によって豊かにすることを自らの使命として日本の土木のパイオニアとなりました。
土木は時として世界を変える大きな力を発揮しますが、その源は人類のためという無私の気持ちと熱い情熱と言えるかもしれません。

*注)廣井勇: 明治から昭和初期にかけて港湾、橋梁等の建設や土木工学の研究分野において多大な功績を残すとともに多くの日本を代表する土木技術者・研究者を育成。札幌農学校(現北海道大学)、東京帝国大学(現東京大学)の教授を歴任。内村鑑三は札幌農学校の学友で自身もクリスチャン。
詳しくは「廣井勇~近代化の扉を開いた、清き技術者」
https://www.kusanosk.co.jp/trivia/pioneer/8613

(文責:小町谷信彦)
2020年5月第2号 No.77号