土木の話題 13「砂とコンクリートの歴史」

砂とコンクリートの歴史

「砂と人類」というタイトルの本が、ある新聞の書評欄で紹介されていました。
砂から作り出される加工品として、コンクリートにモルタルは誰しも分かると思いますが、なんとガラスや電子機器の頭脳部を構成するシリコンチップと様々な社会の必需品が列挙されていました。
砂そのものは、日常生活で意識されることがほとんどありませんが、「いかにして砂が人類を変容させたか」というこの本の副題通り、人類史に大変な影響を与えてきたのです。

さて、この砂の産物で最も古くからあるものは何でしょうか?
それは、ガラスです。紀元前24世紀以降のメソポタミアやエジプトでガラス玉が出土しています。その始まりは定かではないのですが、けい砂(石英砂)が偶然の条件下で高温で燃え自然発生した、という話が通説とのことです。
古代においては貴重品とは言え、なくても困らない装飾品に過ぎなかったガラスは、現代では住まいに不可欠な必需品ですし、米粒のように微小なシリコンチップも文字通り社会を支える「産業のコメ」なのですから、砂は水や塩にも匹敵する存在なのです。

では、建設会社、土木事業にとって切っても切れないコンクリートはどういう生い立ちを持っているのでしょう?
コンクリートの歴史は、ギリシャ時代に遡りますが、本格的に使われたのはローマ時代で数々の大規模な土木構造物や建築物がコンクリートで造られました。ひょっとすると、勘違いされている方もいるかもしれませんが、あの有名なローマの水道橋やコロッセオなども石造りではなく、コンクリートなのです。
この時代のコンクリートはローマンコンクリートと呼ばれ、現代のコンクリートの耐久性が一般的に約50~100年なのに対して、パンテオンが約1900年前の建造時とほとんど変わらぬ姿を保っているのですから、驚くべき耐久性です。
現代のコンクリートの主材料のポルトランドセメントは、アルカリ化の化学反応による結合のため、二酸化炭素の侵入で中性化や塩害が生じ、劣化が進みます。
一方、ローマンコンクリートの場合、消石灰を使用し、ベスビオ火山の火山灰(ポッツオラーナ)を混和剤として使用する製法で、地殻中の堆積岩の生成機構と同じ反応のため、強度が数千年間保たれるということなのです。
そして、現在のように骨材とモルタルを混ぜてから型枠内に流し込むのではなく、モルタルと割石を別々に投入し空気抜きと締固めるという作業を繰り返すギリシャ人から引き継いだ工法により、密実で堅固なコンクリートが仕上がったとも言われています。
ローマ人の技術たるや恐るべしですね!

しかし、この画期的なコンクリート技術は、ローマ帝国滅亡後は引き継がれることなく、大型建造物は石造りに戻ってしまったというのも不思議な話です。
そして、千年以上の空白期を経て、1750年代にイギリスで灯台建設のために使われ、19世紀になってポルトランドセメントが発明、実用化され、復権への道が開かれました。

それでも、例えば米国では、レンガや石造りの建設業団体の圧力が大きく、すぐには普及しなかったようで、1906年のサンフランシスコ大地震の際に瓦礫の中に一棟だけコンクリート倉庫が残ったことが、コンクリート構造物の堅固さの証明となり、一気に普及が進んだということです。いつの時代でも、技術革新に抵抗勢力は付き物ですね。
そして、パナマ運河とフーバーダムという世紀の一大プロジェクト、さらに戦後は、アイゼンハワー大統領による全米を網羅する州間高速道路網の整備と、まさにコンクリートの時代が到来しました。
ちなみに、アイゼンハワーは若き士官時代に車で2か月も要した全米横断体験で、この劣悪な道路網を何とか改善したいと痛感したそうです。

吹けば飛ぶような砂ですが、なければ生活が立ち行かなくなる貴重な素材。
昨今、その乱獲は大きな環境問題ともなり、資源の枯渇も危惧されています。
たかが砂、されど砂、改めてその価値を再認識して、大事にしたいものです。

(文責:小町谷信彦)
2020年4月第1号 No.73号