信念の土木技術者~廣井勇(いさみ)と青山士(あきら)~
幕末の開国後、日本は欧米の技術を積極的に導入し、目覚ましく近代化を進めましたが、いわゆる殖産興業の基盤となる港や川の整備に尽力した多くの土木技術者たちが今日の土木の礎を築きました。
土木を学ばれた方なら、そのような輝かしい先人として誰を思い浮かべるでしょうか?
淀川改修や大阪港の築港等で知られる「沖野忠雄」でしょうか、あるいは、琵琶湖疎水や北海道での鉄道建設に尽力した「田辺朔郎」かもしれません。
しかし、このホームページに掲載中の「北海道の土木のパイオニアたち」に登場する「廣井勇」を挙げる方も多いのではないでしょうか。
「廣井山脈」とも称される廣井勇の脈々と連なる教え子たちが近代日本の建設に果たした功績や海外での勇躍ぶりを知ると、廣井の果たした役割の大きさに感嘆させられます。
廣井が、明晰な頭脳と決断力を持った卓越した技術者、研究者として多くの実績を残しただけではなく、教育者としても大きな足跡を残せたゆえんは、その誠実で勤勉な精神態度、土木に対する一貫した信念にあったのかもしれません。
廣井勇の人となりは、土佐藩士の家系の長男という士(さむらい)の血も影響していたのかもしれませんが、札幌農学校での米国人教師たちから受けたキリスト教教育によりクリスチャン精神が培われたとも言えそうです。それは、廣井がクリスチャンとして誠実に世の中のために何ができるかを真剣に考え、キリスト教の伝道もその選択肢として考えていたことから伺い知れます。
しかし、札幌農学校の同期で、後に無教会主義キリスト教を創始し、生涯の友となる「内村鑑三」が宗教の道を突き進んだのに対して、廣井は「この貧乏な国において、民衆に食料を満たすことなく、宗教を教えても益は少ない。僕は今から伝道を断念して工学の道に入る」と内村に語り、土木の道に進んだとされています。
実際この言葉通りに、廣井は人々の生活と心を豊かにすることを使命として土木分野の研究や事業の実践、そして後進の教育に邁進しました。
廣井の生涯は、内村が葬儀の追悼の辞で廣井を「清きエンジニア」と称し、また、内村と同じく同期の親友だった植物学者「宮部金吾」が、小伝で廣井を「崇高なる信仰の上に立った生涯は君をして清く正しくあらしめた」と評したことからも、初志貫徹の人生を歩んだことは誰の目にも明らかで、その背中が多くの弟子たちを育て、羽ばたかせたことが確信できます。
一方、廣井が東京帝国大学で教えた弟子の一人、「青山士」も人類愛と理想に燃えた信念の人で、彼は志を持って海外に勇躍しました。
青山は、旧制高校時代に内村鑑三の門下生となり、内村の薦めで廣井の下で土木の道に入りました。そして、大学卒業後は廣井の推薦状を携えて米国に渡り、パナマ運河の建設に参加した唯一の日本人技術者として歴史に名を残したのです。
このパナマ運河の建設は、ワニや毒虫が潜む未開のジャングルという劣悪な環境と酷暑との悪戦苦闘の工事でした。そのような中、末端の測量作業員からスタートした青山は、マラリアに倒れるも屈せず、持ち前の勤勉さと手腕により測量技師、設計技師と昇進し、運河の主要な閘門の重要部分の設計を任されるまでになったのです。
そして、パナマからの帰国後は内務省で荒川放水路の建設などで手腕を発揮し、信濃川大河津分水路の改修では最高責任者として1931年に分水路を完成させましたが、その完成記念碑の碑文は象徴的なものでした。
そこには、「萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸ナリ 人類ノ為メ國ノ為メ」とあり、満州事変が勃発し太平洋戦争へと向かう国粋主義一色だった時代に、「人類のため」を「国のため」の前に掲げているのですから、何と高邁な理想主義と反骨精神なのでしょうか。
さらに、この文の下には世界共通言語として発明されたエスペラント語が併記されているのですから驚きです。
後に版画家「棟方志功」がこの碑文に感激し、これを題材に版画を作ったという話は納得できます。
また、青山の葬儀で友人代表として弔辞を述べた政治学者「南原繫」は、「彼の生涯を通じて彼を導いたモットは “I wish to leave this world better than I was born.”」(私は生まれた時より世界を良くすることを望んでいる)、そして、「青山士は、その字の示すごとく、実に士(さむらい)らしいキリスト者であった」とその生涯を振り返っています。
明治時代には、様々な分野で信念を持って新しい時代を切り開いた先人たちが綺羅星のごとく登場しますが、土木の世界でも例外ではありませんでした。
利他的精神とグローバルな視点、そして、何よりも不屈の信念を持って土木事業に心血を注いだ先人たちの物語は、今もなお、我々に励ましと希望を与えてくれます。
(参考文献) 「土木技術者の気概 廣井勇とその弟子たち」 高橋裕 著 鹿島出版社
(文責:小町谷信彦)
2020年8月第2号 No.83号