橋の話題 1「橋を語源から考える」

橋を語源から考える

最近、有名人の家族史を探る番組がテレビで毎週放映されていますが、本人も初めて知る祖父母のルーツやその苦労物語に思わず涙したり、自分の才能の原点を再発見したりなど、感動的でドラマティックな構成が人気を呼んでいます。本人の自己認識が深まるというだけではなく、見ている人にとっても驚きや感動を共有できる点が受けているのかもしれません。

人間のように感動的な部分はないのでしょうが、今日は「橋」のルーツについて考えてみましょう。
普通のアプローチでは、ちょっと小難しい工学的な橋梁の発展史ということになりますが、「橋」「はし」という言葉のルーツという方向、大げさに言えば哲学的な方向で考えると、橋の持つ意味が膨らみ、意外な理解につながるかもしれません。
まず、「橋」の字義を国語辞典でひくと、「橋梁」の他に「かけわたすもの、仲介、媒介。」とあります。橋渡しですね。
また、「はし」という漢字は、「はしごの『梯』」、「階段の『階』」、「先端の『端』」、「くちばしの『嘴、觜』」、「割りばしの『箸』」、「『柱』も昔は『はし』」と言っていたそうで、一口に「はし」と言っても色々。面白いものですね。

それでは、歴史を遡ってみましょう。「はし」のルーツは、「間」という漢字とのこと。我々は「あいだ」と発音していますが、その昔は「はし」と発音していたようです。
さらに、江戸中期の儒学者新井白石の語源辞典「東雅(とうが)」には、「はし」は古来「わたす」という意味という記述があるそうです。「階」は横にわたす、「梯」は斜めにわたす、「柱」は上下にわたす、「嘴」「觜」は餌を体内にわたす、箸は食物を口にわたす、ということなんです。さらに、「艀(はしけ)」も船から陸に物を運ぶので、船と陸を「わたす」手段と言えます。そして、「端」も「橋」や他の「はし」と同源で「間(はし)」、両岸の間を渡すものという意味でした。

というわけで、橋は「わたす」が語源ということがわかりましたが、私のフィーリングでは、双方向に「つなぐ」という意味合いの方が、橋の語感として強いようにも感じます。皆さんはどうお感じでしょうか?
「愛の架け橋」「平和の架け橋」「夢のかけ橋」「希望の橋」「栄光への橋」とか、何やら流行歌のタイトル風のフレーズが並んでしまいましたが、人の情緒と橋は密接に絡んでいるような気がします。
とりわけ東日本大震災以来、「絆」という言葉をよく耳にしますが、「人と人とをつなぐ」絆は、「橋」のイメージと重なるところが多く、橋の醸し出す世界を広げているようにも思えます。それが、絵画・音楽・小説・映画など、古今東西を問わず様々なジャンルで橋が登場する所以なのかもしれません。
このコラムでは、次回からそのような橋の持つ様々な横顔をいろいろな切り口でご紹介していきたいと思います。

(N.K)