橋の話題28「「八景」に描かれた橋の風景」

 この浮世絵はどこの風景でしょうか?
 ヒントは絵の左上の画題にありますが、たぶん滋賀か京都にご縁のある方以外にはかなりの難問でしょう。
 正解は「近江八景」の「瀬田の唐橋」、正しくは「勢田(瀬田)夕照」(せたのせきしょう)です。
 作者は江戸時代後期の浮世絵師・歌川広重で、中央部に瀬田の唐橋、奥に琵琶湖、そして手前の瀬田川を描いた夕暮れの情景です。
 近江八景は、近江の国(現在の滋賀県)の名所8選なのですが、その始まりは、室町時代後期にかの地に滞在した元・関白の近衛政家が詠んだ和歌8首とも言われる中々由緒正しいものです。
 瀬田の唐橋の他には、「石山秋月」(いしやまのしゅうげつ;石山寺)、「三井晩鐘」(みいのばんしょう)、「八橋帰帆」(やばせのきはん;矢橋)などがありますが、いずれも秋の名月とか地域ゆかりのお寺の晩鐘と言った情緒あふれる事象と美しい風景を組み合わせた4文字熟語で、漢詩を思い起こさせます。それもそのはず、実は10世紀に中国の北宋で選ばれ、山水画でもしばしば描かれている「瀟湘八景」を模倣したものだったのです。
 しかし、オリジナルは中国ですが、この「八景」、全国に400以上もあると言いますし、短歌や俳句の題材としてもしばしば取り上げられていることから、「移ろうもの」や「はかないもの」に「ものの哀れ」を感じ、「わび」「さび」という独特の美意識を生んだ日本人の感性にとても馴染む風景観と言い切っても間違いではないでしょう。

 さて、「勢田(瀬田)夕照」の「勢多(瀬田)の唐橋」は、京都の宇治橋、山崎橋とともに日本の三大橋(日本三古橋)の一つとされ、天智天皇が治める近江大津宮(667年に遷都)の時代が始まりと言われています。当初は丸木舟を横に並べ、藤の木の蔓を絡めた「搦橋(からみばし)」だったようで、名前の由来もこれが転じて「から橋」になったという説もあります。ただ、当時の中国の様式が使われたので「唐橋」という説や橋を架けるのに辛苦したので「辛橋」というように色々な漢字表記を根拠として諸説あり、その由来は定かではありません。
 残念ながら広重の浮世絵に描かれたような趣のある木橋は、1924(大正13)年以降、コンクリート橋に架け替えられ、もう見ることはできませんが、現在の瀬田大橋は、当時の木橋を模して橋脚や高欄がデザインされ、織田信長が初めて欄干の親柱に取り付けたとされる擬宝珠(ぎぼし)が高欄を飾り、昔年の名残りを留めています。
 そして、この橋は東海道・東山道(中山道)から京都に入る交通の要衝だったことから、壬申の乱(飛鳥時代)、宇治・瀬田の戦い(源平時代)、承久の乱(鎌倉時代)と言った数々の歴史的事件の舞台となりました。そんなことに思いを寄せると、タイムスリップした橋の風景が見えてくるかもしれません。ちなみに、擬宝珠に記されている作成年を調べると江戸時代のものもあるとのこと。そんなお宝探しも楽しそうですね!

 ほかに八景と言えば、同じく広重が描いた「江戸近郊八景」も良く知られています。
 こちらの八景にも橋が一つ、「小金井橋夕照」(現在の東京都小金井市)が選ばれています。
 小金井橋は武蔵野を流れる玉川用水に架かる短い橋ですが、その周辺の小金井堤は江戸の享保年間に徳川吉宗が江戸近郊に町民のレクリエーションために作られた桜のお花見スポットの一つとして大いに賑わいました。私も小金井には2回住んでいたことから、小金井の桜には愛着があるのですが、満開の桜の遠景に富士山が垣間見える広重の絵に描かれた橋の風景はとても印象的です。

「小金井橋夕照」(歌川広重;「江戸近郊八景」)

 それでは、北海道で「八景」と言うとどこかあるでしょうか?
 「旭川八景」と「室蘭八景」があります。
 そして、旭川と言えば北海道三大名橋の「旭橋」、室蘭は「白鳥大橋」と、町のシンボルとなる橋がいずれも八景に数えられているのは、建設人として嬉しいことですね。
 ただ一つ欲を言えば、「勢田夕照」に倣って「旭橋〇〇」、「白鳥大橋△△」なんて風趣豊かなネーミングをどなたか考えませんか?
 詩心がない私には、他人任せ提案しかできないのが残念ですが‥‥。
 

(参考1)近江八景
「石山秋月」(いしやまのしゅうげつ;石山寺)
「勢田(瀬田)夕照」(せたのせきしょう;勢田の唐橋)
「粟津晴嵐」(あわずのせいらん;粟津原)
「八橋帰帆」(やばせのきはん;矢橋)
「三井晩鐘」(みいのばんしょう;三井寺)
「唐崎夜雨」(からさきのやう;唐崎神社)
「堅田落雁」(かたたのらくがん;浮御堂)
「比良暮雪」(ひらのぼせつ;比良山系)

(参考2)「急がば回れ」の由来は、「武士の矢橋の渡り近くとも急がば回れ瀬田の長はし」
 東から京都へ上るには草津の矢橋(やばせ)の港から大津の石場への航路が最も早いとされていたが、反面、天候が変わりやすく、比叡おろしの強風により船出・船着きが遅れることも少なくなかった。瀬田まで南下すれば風の影響を受けずに唐橋を渡ることができ、日程の乱れることもないとして、これを「急がば回れ」と詠んだものであるという。(出典:Wikipedia「瀬田の唐橋」)

2023年1月第2号 No.135号
(文責:小町谷信彦)