橋の話題 19「古代ローマの水道橋」

古代ローマの水道橋

人間の命にとって一番必要なものは何か?と問われれば、まず空気、そして水という答えになるでしょう。そういう意味では、古代の都市が、多くの場合、水が豊富な場所に造られたのは当然の話で、古代ローマも例外ではありませんでした。当初はティベル川(現在のテベレ川)の近くに立地し、川や泉の水を利用していたようですが、西暦前4世紀以降、都市の発展とともに水の需給がひっ迫し、遠くの水源から水を引く必要が生じ、西暦前312年完成のアッピア水道を皮切りに次々と水道が建設されました。
この水不足の一因としてローマ人の風呂好きもあったのかもしれません。当時の浴場は社交の場で、庭園や図書館を併設したかなり大規模なものもあったと言いますから、映画「テルマエロマエ」をご覧になった方はイメージが湧くと思いますが、現代で言えばレジャーランドのような存在だったのでしょう。
そして、ローマ帝国はヨーロッパ各地、さらには小アジア、北アフリカへと拡大していきますが、行く先々で水道を敷設し、それが世界遺産に指定されたフランスのポンデュガールやスペインのセゴビア、チュニジアのカルタゴの水道橋として今も世界中からの観光客を集めているのです。
それにしても、「必要は発明の母」とはよく言ったもので、このローマの水道の建設技術には驚くべきものがあります。
例えば、ポンデュガールを含むユゼス~ニームの全長50kmの水道は、高低差が17mしかなく1km当たりの平均斜度はわずか34cm。中でも勾配の緩い区間は何と1km当たり7cmの勾配というのですから、精密に勾配を確保できた当時の土木技術には脱帽です。
また、ローマ水道の大部分の区間は地下で、敵による破壊や動物の死骸の混入、風雨による浸食を防止し、畑地や居住地としての利用への影響を最小限に留めるという効果を発揮したようですが、地下でも維持管理が容易にできるよう建設の時点で考慮していたことも特筆すべき点です。水道管は人が点検や維持管理のために入れるように大口径とし、地上のマンホールから立て坑を降りて行ける構造として、ローマ市はその維持管理要員として一時期700人もの人を雇っていたとのことです。さらに、大きな修理をする時のために破損個所から水を一時的に他に流せるという配慮もされていたようです。
また、水源調査は、水の透明度や味を調べるだけではなく、その水を飲んでいる地元住民の健康状態も調べたと言いますから大したものです。
私達は、2000年もの歴史を刻んだポンデュガールの3階建てアーチの芸術的な優美さに感動を覚えますが、実はそこには、極めて高度な技術力が秘められ、その美しさと耐久性を支えていたのです。

考えて見ると、ライフライン(命の線)という言葉は、水道に最もふさわしい言葉なのかもしれません。
日本人論の古典「日本人とユダヤ人」に「日本は、水と安全がただの世にも珍しい国」というくだりがあり、40年以上前に読んだ時に目からうろこが落ちましたが、今や水を自販機で買う時代。我が国も「美味しい水はただ」ではなくなり、世界標準の普通の国に一歩近づいたようですが、蛇口をひねれば当たり前に水が出る水道の有難さを皆さんどの程度実感しているのでしょうか?

*本コラムは、「古代ローマの水道 土木工学の偉業」からの引用を含んでいます。詳しくお知りになりたい方は以下のWEBサイトをご覧ください。
https://www.jw.org/ja/出版物/雑誌/g201411/古代ローマ-水道-土木工学/

(文責:小町谷信彦)
2018年9月第1号 No.37