橋の話題 18「悪魔の橋」

悪魔の橋

 古代の人々にとって、川は飲み水や生活用水としてだけでなく、自然に備わった交通路でもあり、何よりも肥沃な土地を育む大変重要な存在でした。「エジプトはナイルのたまもの」という言葉に象徴される大河と文明との関りを想い起される方も多いことでしょう。
しかし、豊穣をもたらす川は、氾濫により人間社会に甚大なダメージを与える自然の脅威でもあり、人類史は水害との闘いの歴史とも言えるでしょう。
 そういう意味では、治水技術という武器も持たず、圧倒的な自然の力の前に立ちすくむしかなかった古代の人々が川を神格化し、崇敬と畏怖の対象としたのは、ごく自然な心情だったのでしょう。古代エジプトの人々は豊穣の女神イシスの涙によってナイル川が増水すると考えていたようです。ギリシャ神話にもセフィッサスという川の神が登場し、その子孫がナルシス(ナルキッソス)。水面に映った我が身の美貌に恋焦がれて死んで水仙になったとされる妖精で、ナルシストの語源として知られています。
 そして、川に橋を架けるという行為は、これまで川の神が通行料として手に入れていた人間の命が得られなくなるという意味で、神々への挑発と考えられていたようです。それで、橋が洪水で流されるのはその仕返しとされ、神々の怒りを鎮めるためにいけにえが捧げられました。ローマの聖スブルキウム橋のお祭りでは、現在も大勢の修道女たちの行列が讃美歌を歌い祈りの言葉を唱えながらパピルスで作った老人の人形を橋の上から川に投げ込むという伝統の儀式が続いているそうですが、昔の異教的な人身御供の名残りなのです。
 さて、ヨーロッパにおける橋の持つ宗教的な意味合いは、時代が下りキリスト教の普及とともに変化していきます。原始宗教における川の神々(聖霊)は、聖書に登場する悪霊、すなわち悪魔に置き換えられ、橋づくりにまつわる悪魔伝説が各地で伝承され、今日に至っています。そして、中世になると、悪魔の知恵や助けを借りて橋を完成させたというファウスト的な伝説が語られるようになります。当時の未熟な土木技術が、人間の力を超えた魔力への願望を生んだのかもしれません。
 そんな時代の「悪魔の橋」の一つ、イタリア・トスカーナ地方で1000年前に建造された石造りアーチ橋は、勾配が28%もあり、その超自然的な形から、悪魔の仕業と考えられているようです。当時の技術では、橋台に大きな圧力のかかる平坦なアーチは造ることは不可能で、丸い円形や半円形のアーチにせざるを得なかったというのがその不思議な形状の真相なのですが、なぜ悪魔と結びついたのかは推察の域を出ません。

 余談ですが、聖書に登場する悪魔サタン(Satan;原義はヘブライ語の「抵抗者」「反抗者」)は、初めは神に仕えていた天使の中から邪悪な心を育んで神に反逆するようになった霊者とされ、その手先として多数の悪魔デビル(Devil;「(神を)中傷する者」)が現在も地上で悪い影響をばらまいているとされています。そして、この悪魔サタンの一派は、近い将来ハルマゲドンの戦いで神によって滅ぼされるとされています。
 ところで、不思議なことに、ヨーロッパには「悪魔の橋」は、様々な国々に数多あるのに「神の橋」はどうもあまり見当たらないようです。
 同じ人間わざを超えた力や知恵を願い求めるのであれば、悪魔の魔力よりも神の力と知恵に頼った方が得策だったのではと思うのですが、機会があったら当時の人に聞いてみたいものです。。

*本稿は、下記の書籍からの引用を中心に執筆しています。ご関心があり、さらに詳しくお知りになりたい方は、同書をご覧になっていただくことをお奨めします。

「歴史と伝説にみる橋」   著者:Wilbar J. Watson, Sara Ruth Watson
訳者:川田貞子 / 監修:川田忠樹
発行:(株)建設図書

(文責:小町谷信彦)
2018年8月第3号 No.36