橋の話題14「ワーテルローの戦いと橋」

ワーテルローの戦いと橋

今回のテーマは、「ワーテルローの戦い」ですが、橋とどういう関係があるのかと思われた方が多いことでしょう。
実は、以前に「橋の話題2」で名作映画「哀愁」の舞台としてご紹介したロンドンの「ウオータールー橋(英語読み)」(Warterloo Bridge)は、フランス語読みでは「ワーテルロー」。1817年に完成したのですが、ウエリントン将軍率いる英国軍がナポレオン軍を破った「ワーテルローの戦い」(1815年)の戦勝を記念して命名された橋だったのです。
そもそも、「ワーテルロー」は戦場となったベルギーの地名なのですが、戦勝記念での命名は橋だけではなく、多くの地名や広場、駅の名前など、世界中に拡散し、ウイキペディアによると「ウオータールー」という地名は、米国に31、英国8、カナダ3、オーストラリア2か所の他、アフリカ、中南米、アジアにも及ぶとのことです。
歴史に「もし」は禁句ですが、もし破竹の勢いだったナポレオンの進軍をワーテルローで止められなかったならば、恐らく英国はフランスに占領され、現代に至る世界史は大きく変わっていただろうと考えると、英米や旧英国植民地に残る地名には、当時の英国民がどれほど喝采、安堵したが容易に想像できます。

さて、私達の身近なところにも似たような事例はたくさんあります。
例えば、私の地元札幌には「厚別川」という南区の山間を源とする豊平川最大の支流がありますが、上流の南区や清田区では「あしりべつがわ」、下流の厚別区では「あつべつがわ」と呼び方が微妙に異なります。河川法上の正式な読みは「あつべつがわ」なのですが、上流にある滝は、「アシリベツの滝」、その近くの橋は「アシリベツ橋」、一方、下流の地名は、「厚別駅(あつべつえき)」、「厚別区(あつべつく)」等々。
この地名のルーツをたどると、現在の清田区一帯はかつて「アシリベツ」と呼ばれ、一説では「オヒョウダモ(アイヌ語でアツシ)の木の川(アイヌ語でベツ)」から「厚別」の字が当てられたのではないかとのことですが、詳細は不明です。
本流の豊平川(とよひらがわ)に関しても、上流の豊平峡の読みは「とよひらきょう」ではなく「ほうへいきょう」。何故かは謎です。

アルファベットは、お国柄で読み方が色々ですが、漢字も訓読み、音読み、時には当て字とアルファベットに負けず劣らず読み方は色々。
洋の東西を問わず名前の読み方は難しいものですね。           (N.K)