橋の話題26「舟橋と浮桟橋(ポンツーン)」

 船橋市は、首都圏の代表的ベッドタウンで千葉県第2の都市ですが、その地名の由来には興味深いものがあります。「日本武尊(やまとたける)が東征した時に川を渡るのに船で橋を造った」という伝説から取られたそうです。そして、船橋という地名が鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にも登場するとのことなので、なかなか由緒正しい土地柄と言えそうですね。
 この船橋、さすがに日本武尊が本当に造ったのかどうかは定かではありませんが、歴史を遡ると、最も古くは奈良時代に「浮橋」の記録があり、平安時代には天皇の行幸の際に「舟橋」が仮設されたという話も残っているようです。もっとも、浮橋というと「夢浮橋(ゆめのうきはし)」が源氏物語の最終巻として有名ですが、その意味は辞書で調べると「夢の中の危うい通い路」とあり、こちらは本コラムのテーマからは外れそうです。

 次は世界に目を転じてみましょう。世界の舟橋のルーツはと言うと、古代中国の周の時代、紀元前11世紀に文王が造ったと詩経にはあり、少なくとも紀元前9~8世紀には中国で仮設舟橋が使われていたとされています。
 一方、古代ギリシャでも歴史家ヘロドトスの著書『歴史』に、ペルシャのクセルクセス大王がギリシャ侵攻の際にダーダネルス海峡に架け渡した二本の舟橋についての記述がありますが、それはガレー舟を各々360艘と314艘も使用した約1.6㎞の長大な舟橋でした。そして、武具で身を固めたペルシャの大軍の切れ目ない行進は、橋を渡り切るのに七日七晩かかったと言いますから、壮大な光景だったに違いありません。
 ちなみに、教科書でもお馴染みのクセルクセス大王は、旧約聖書のエステル記に登場するアハシュエロス王と同一人物とされています。エステル記は、帝国全土から集められた美女の中から王妃に選ばれたユダヤ人エステルが、悪い重臣ハマンのユダヤ人撲滅の陰謀を大王の面前で命懸けで暴き、ユダヤ民族を滅亡の危機から救ったという映画にできそうな史実なのですが、これを記念するプーリーム(くじ)の祭りは、今でもユダヤ人の習わしとして引き継がれているようです。

 さてこの舟橋は過去の遺物かと言うとそうではなく、実は軍用の仮設橋や浮桟橋(ポンツーン)として現在も使われています。
戦時に進軍のために架けられた舟橋は、日露戦争中の日本軍の鴨緑江、第2次世界大戦中の米軍のライン川など、枚挙にいとまがありませんが、現在でも日本の自衛隊は重量50tの90式戦車も通れる「92式浮橋」を装備しています。これは、浮体橋とそれが川に流されないように推進力をかけて押す動力ボートを1ユニットとして、8ユニットで長さ約100mの仮設橋を架けることができます。

鴨緑江を渡る日本軍(出典:Wikipedia「舟橋」)

 浮桟橋は、米国シアトルのワシントン湖を横断するSR520橋は全長2,350mもの長さを誇り世界最長ですが、東京の奥多摩湖の浮桟橋のように簡易な橋が多く、橋としてよりも船着き場としての利用の方が目立ちます。
 ちなみに、浮桟橋は英語で ”pontoon bridge”(ポンツーンブリッジ)ですが、ポンツーンの意味を調べると箱舟、浮桟橋、小規模な人工島と色々です。私は行ったことがありませんが、オーストラリアのグレートバリアーリーフにはクルーズ船が停泊できる大小様々なポンツーンにレストランやダイビングなどの活動の拠点が設けられ、中には宿泊可能なポンツーンもあるようですね。一方、日本でも川の船着き場として利用されているポンツーンの中には洪水時に弁を開くと内部に水が入り込んで沈下する仕掛けなど、バラエティに富んでなかなか面白いものですね。

 高所恐怖症の方には、落差の大きく眺望の良い橋は鬼門かもしれませんが、舟橋は落差がほぼゼロで、こんなに落ち着ける橋はないかもしれません。
 しかし、水が苦手な方や揺れに弱い方には気持ちの良いものではないかもしれませんね。
 人間同士と同じように、人と橋にも相性がありそうです。あなたはどんなタイプの橋が好きですか?

2021年11月第1号 No.109号
(文責:小町谷信彦)