橋の話題29「橋の常識・非常識」~橋は 無料?

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 いつも渡っていた橋に「このはしわたるべからず」という看板が、突然立てられたとしたら、皆さんならどうしますか?
 一休さんに倣って、端(はし)ではなく、橋の中央を歩いて渡りますか?
 実はこれは江戸時代の頓智話ではなく、5年程前に神戸市北区で実際に起きた出来事です。
 川を隔てた袋小路の30戸程の住宅地で、川に架かる唯一の車道橋に「通行料(普通車2万円/月、軽自動車1万8千円等)を払わなければ通行を禁止」という看板が立てられたのです。
 どうしてこんなことになったのでしょうか?
 住民たちも知らなかったのですが、この橋は個人が設置した私有財産で、所有者が老朽化の進んだ橋のメンテナンスや架け替え費用に当てようと橋の使用料の徴収を思いついたのです。驚いた住民は、神戸市に苦情を申し入れたものの市は当事者同士の問題という立場で、いまだに紛糾しているようです。それにしても、全国を見渡すとこういう話は意外と珍しいことではないようで、橋は無料の公共施設と思い込んでいましたが、必ずしもそれは橋の常識ではないようです。

 それは、橋の歴史を遡ると一層明らかになります。
 わが国の橋の起源は、遺構が確認されたものに限っても縄文時代の後期まで遡れますが、橋づくりの主要な担い手は、政権の安定期には官でしたが、官の力が相対的に低下している時代、例えば飛鳥や奈良時代には民衆の意志を代弁する僧がその役割を担いました。その代表的な僧が行基で、弟子を率いて、奈良・京都・大阪周辺の要害の地に橋をつくり、堤防を築きました。僧侶にとって、民衆の日常生活を支える土木施設を作ることは、衆生(しゅじょう;民衆)の救済を目的とした布教を促進するもので、宗教活動の一環でもあったのです。
 そして平安末期になると聖(ひじり)とよばれる伝道僧が信者や有志から建設費用を集め、橋や道路の建設や補修を行うようになりました。これは勧進(かんじん)と言われ、元々は寺院の建立や修繕のための費用を生み出すための寄付集めで、信者からの奉納だけでなく、
興行を催して観覧料を集めていたのですが、橋や道路の建設も行うようになり、そのために橋のたもとや関所で利用料を徴収したのです。
 ちなみに「勧進帳」は、この勧進の目的を記した巻物ですが、源義経が兄・頼朝に追われ、武蔵坊弁慶を伴い女装して逃走中、安宅の関での緊迫したやり取りを描いた歌舞伎「勧進帳」は歌舞伎の代表的な演目として有名ですね。
 さらに時代は下って江戸時代、江戸は幕府によって作られた「公儀橋」が半数を占めましたが、京都、大坂では一部の橋は「公儀橋」だったものの、多くの橋はその橋筋の町々が費用を負担して工事を行う「町橋」でした。そして、徳川幕府が明治政府に変わっても、この仕組みは引き継がれ、明治4年に橋や道路を私費で造り、通行料を取って償還することを認める布告が出され、橋の建設マニュアルも作られました。そして有料橋が奨励されたので、各地で架橋ブームが起きたのです。
 そのため東海道の大井川などの川越え人夫が一挙に失業という社会問題が生じた、一方では、橋の経営も渡船との競合で思いのほか利用料収入が少なく、苦労したようです。

 このように橋を民が作っていたのは日本だけの話ではありません。ヨーロッパでも同様ですが、橋からの収入確保という点ではもっと進んでいて、橋の上に家や商店街を作り、家賃やテナント料を稼ぐという方法も活用されていました。
 イタリア・フィレンツェのヴェッキオ橋は橋上が4階建ての建物になっていて、1階は通路を挟んだ両側に商店が立ち並び、今でも観光名所として賑わっています。このような橋は欧州各地にあり、例えばパリのセーヌ川のマリー橋には6階建ての建物が建っています。

 ところで、日本にもこの橋の上の商店街が2003年まで残っていました。
 それは、岩手県釜石市を流れる甲子川(かっしがわ)の橋の上に50軒ほどの店が並んだ「橋上市場」と呼ばれるマーケットです。戦後の昭和33(1958)年、地元の熱心な要請に負けた当時の河川管理者(宮城県知事)が仮施設ということで5年の占用を許可しました。それ以来、占用期限が迫る度に県当局と市場側とで移転交渉が行われたものの、一向に交渉は進まなかったのですが、45年目にしてようやく合意に漕ぎ着け、撤去されたのです。そして当時は、市場の人々の生活を破壊し市民生活にも不便を強いる、ということでTVでも報道され、県が批判の矢面に立たされたようです。
しかし、撤去して8年後に東日本大震災が勃発し、津波の襲来に一溜りもなかったであろう高さが低く、老朽化した旧橋は、安全な新橋に架け替わり無傷だったことを考えると、当時の県の判断は正解だったことが裏付けられたと言えそうです。

 とはいえ、昔ながら趣を漂わせた橋上のマーケットは、旅の思い出の一コマとして、ほかにはない魅力的を生み出していたに違いありません。
安全性と橋の多面的な魅力を併せ持つ、現代版ヴェッキオ橋を日本のどこかで作れないものでしょうか? こんな発想は、橋の非常識と言われそうですが‥。

フィレンツェ・ヴェッキオ橋(出典:Wikipedia)

     2024年3月第1号 No.142
    (文責 小町谷信彦)