橋の話題 20「日本の名橋、奇橋、古橋 」

日本の名橋、奇橋、古橋

長嶋茂雄ファンならずとも、古今東西を問わず“3”という数字は人々に好まれるようです。世界3大◯◯、日本三✖✖等々、何故か3が多いですね。
橋についても例外ではなく、例えば、「日本三名橋」。「日本橋(東京)」「錦帯橋(山口県岩国市)」「眼鏡橋(長崎市)」なのですが、眼鏡橋は1634年に日本で初めて造られた2連の石造りアーチ橋、錦帯橋も1674年建造で独特の形状の3連の石造りアーチ橋で、その歴史性と風景としての美しさが名橋とされるゆえんと思われます。
一方、日本橋については、私としては少し違和感を覚えるのですが、皆さんは如何でしょうか?
確かに1603年に江戸開府直後に架けられて以降、五街道の起点、江戸の表玄関の「お江戸日本橋」は、浮世絵でもお馴染みの江戸で最も賑わう場所であり、江戸を代表する橋であったことは間違いありません。しかし、現在の日本橋は木製の人道橋から石造りアーチの国道橋に変わり、当然のことながら江戸の面影は消え、100年余りの歴史が明治期の風格を醸し出してはいるものの高速道路の高架下のたたずまいは絵になる風景とは決して言えません。

 

眼鏡橋(長崎市)

日本橋(東京都)

二重橋(皇居正門石橋)

私事ですが、先日、上京のついでに初めて二重橋を見てきました。かつて、東京で30年以上暮らしていたのに灯台下暗し。今更ながらですが、二重橋の格調高い石造りの風格と背景となる長和殿とのコラボレーションは絵になる風景だと思い、内外の観光客の格好の記念写真スポットになっていることが頷けました。
というわけで、二重橋の方が三名橋に相応しいのではないかと思いながら二重橋について調べてみたところ、私が二重橋だと思っていた皇居前広場から見て手前にある二連石造りアーチ橋(皇居正門石橋)は二重橋ではなく、正しくは奥に小さく見える鉄橋(皇居正門鉄橋)の方なのですね。そして、多くの人は私と同じ勘違いをしていて、一般的には、この二つの橋を総称して二重橋と言い慣わされているそうです。
元祖二重橋の歴史は江戸時代初期の1614年に架けられた木橋に遡るようですが、記念写真でみんなが撮っている石橋の方は明治中期の1887年の建造で江戸時代からの由緒正しい橋という能書きが付くわけでもなく、何を持って名橋と評価するかは以外と難しい問題です。

その点、日本三古橋の方がわかりやすいですね。古さ比べということで、事の真偽はともかくとして、日本最古の橋と言われる「宇治橋」(646年建造)、神功皇后(200年頃)に建造されたとされる「瀬田の唐橋」、行基が725年に架けたとされる「山崎橋」が挙げられています。これらの橋は、宇治三郎、勢多次郎、山崎太郎とも呼ばれていたとのことですが、何故、この兄弟の順番なのかは謎です。
そしてもうひとつ、日本三奇橋というのもあります。「古い橋で変わった構造の橋」という視点なので、「変わった」の主観的判断そのものと言えるので、ある意味わかりやすいですね。これは「錦帯橋」、「猿橋(山梨県大月市)」、「愛本橋(富山県黒部市)」。
猿橋と愛本橋は、「はね木」と呼ばれる支え木を幾重にも重ねて両岸からせり出して橋脚なしで橋を渡す「はね橋」という木橋の架橋方式で、猿橋については、朝鮮の百済からの渡来人が、猿が互いに体を支え合って橋を作ったのを見て造られたという伝説があるのだそうです。

さて、残念なことに我がふるさと北海道は歴史の薄さもこれあり、「北海道三大名橋」と言われる橋はありますが、全国区ではありません。
日本の三大夜景は、「長崎」「神戸」「函館」で、最近、選定され直した新三大夜景は「長崎」「札幌」「北九州」とのこと。北海道では、長らく函館山の夜景が有名でしたが、昨今は札幌の夜景が注目を集めています。
土木構造物の世界でも、歴史を刻んだ将来、日本の三◯◯と称されるようになる北の大地らしいダイナミックな名作の一つや二つ、生み出したいものですね。

(文責:小町谷信彦)
2018年12月第1号 No.46