橋の話題37「橋下空間の利用 今、昔」

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 大阪万博が盛況の内に閉幕しました。当初は、建設費の高騰や海外パビリオンの準備の遅れなど、すったもんだ。どうなることかと心配されました。しかし、尻上がりに来場者が増え、目標まではもう1歩だったものの、結果は2500万人余りの来場者に200億円以上の黒字。大成功と言えるでしょう。
 その万博で、とりわけ話題を呼んだのが、建築面積61,000㎡、世界最大の木造建築物としてギネスに登録された万博のシンボル「大屋根リング」でした。リング状のこの巨大な建築物は、全周が何と2㎞。通路の中心部を基準に計測すると、期せずして開催年と同じ2025mだったという話も興味深いですね!
 この建築は、神社仏閣の「貫(ぬき)接合」という技術を基本としつつ、楔(くさび)の部分には金属を使用するなど、現代の耐震基準をクリアーするために、わが国の1000年以上の木造建築の歴史・伝統と現代工法との融合によって生み出されました。
 そして、柱と屋根だけで壁のないオープンな構造なので、以前ご紹介した隈研吾氏の「橋のような建築」(注1)以上に橋らしい建築と言えそうです。むしろ「橋と言った方が良いような建築」と表現できるかもしれません。
 実際、屋上は「スカイウォーク」と呼ばれる回廊になっていて、会場を一望しながら30分ほどで一周できるのです。そして、リングの外周は内周より8mほど高くなっていて、その傾斜面は「天空の草原」をイメージした植栽が広がっています。この大屋根の下は、会場の主要な移動路となり、夏の日差しや雨風を遮る休憩スペースともなり、多様な使い方ができることが大きな魅力となっています。

 さて、橋の下というと、その昔、明治になるまでは、雨露がしのげる貴重な空間なので、無宿者が掘っ立て小屋を建てて住みつき、「河原者」が橋のたもとに建てた見世物小屋で芝居や踊りを披露していました。一般の社会からドロップアウトした人達の溜まり場や少々いかがわしい匂いのするエンターテインメントの場になっていたのです。とは言え、そこは大衆文化の発信地でもあったわけです。
 時代は流れて現代、大都市の中心部は縦横に高速道路や鉄道の高架橋が張り巡らされ、その桁下空間の活用が進められています。繁華街では電車の騒音や振動をものともせず鉄道高架下の飲み屋が賑わっています。また、住宅地の高架下は、貴重な空地として駐車場として利用され、場所によっては児童公園として活用されています。
 そして今、「大屋根リング」は、新しい橋と橋下空間の可能性を広げたと言えるかもしれません。
万博終了後もその十分の一は、公園の施設として残されることが決まった「大屋根リング」、大阪のシンボルの一つとして、ずっと市民に愛され続けることでしょう!

(注1) 橋の話題23「橋と建築~隈研吾氏の作品から」

2025年10月第1号No.172
(文責:小町谷信彦)