幻の橋。夢の橋
幻という言葉には、不思議な魔力を持っています。一瞬で消えてなくなる儚さが人の心を引き付けるのかもしれません。
「幻の橋」と呼ばれる橋が北海道にはいくつかあります。上士幌町の旧国鉄士幌線「タウシュベツ川橋梁」(1939(昭和14)年完成)は、1955年に糠平ダムの築造に伴い、僅か16年の鉄道橋としての使命を終えてダム湖に水底に沈むという残念な運命をたどった橋。
ダムの建設で水没した橋は二度とその姿を現すことはないのですが、タウシュベツ川橋梁は、ダムの水位が真冬から春先(1月~5月頃)にかけて大きく下がり、その時期だけ全景が眺められることから「幻の橋」と言われています。
この全長130mの優美なシルエットの11連アーチ橋は、長年の風雪に晒されコンクリートは朽ちかけ、それが歴史ロマンを彷彿させることから評判を呼び、今では有名な観光スポットにもなっています。最近は毎年の水没と露出の繰り返しから、水圧や凍害による劣化が急激に進み崩壊が危惧されるようになり、保全対策の実施を望む声がある一方、遺跡として朽ちていく姿を自然体で見せた方が良いという意見もあり、そのうえ経費の問題も重なり、今後どう対処するかは中々難しい問題となっているようです。
タウシュベツ川橋梁
タウシュベツ川橋梁ほどは知られていない北海道のもう一つ「幻の橋」が夕張市のシューパロ湖に架かる旧森林鉄道の「三弦橋」(1958(昭和33)年完成)。
三弦橋 - 北海道夕張市 出典:Wikipedia
今では有名になってしまった北海道の二つの「幻の橋」をご紹介しましたが、洪水時に隠れる「沈下橋(ちんかばし)」も「見え隠れする橋」という意味では、その仲間に加えても良いかもしれません。
「沈下橋」は、かつて架橋技術が未熟で洪水に耐えられる強固で長いスパンの橋を造ることが難しかった時代に、あえて増水時に沈む高さで橋を造って流木などが橋の上を流れ下るように工夫した橋ですが、現在は治水上の問題や利用者の安全性の問題から造られることはない歴史的遺物です。
有名な四国の四万十川や仁淀川以外にも全国には様々な名称で地域に根付いている沈下橋があります。「潜水橋」「潜り橋」は全国各地で使われているようですが、地域独特の呼称としては、関東では「冠水橋」(荒川)、「地獄橋」(久慈川)、京都府では「潜没橋」、岡山県では「流れ橋」、九州では「沈み橋」と地域色豊かな言い表し方があります。
(参考:「沈下橋」Wikipedia )
佐田沈下橋(高知県・四万十川)、2009年 出典:Wikipedia
「幻の橋」で終わらせたくない、「夢のある橋」でこのコラムを終えましょう。
北海道は津軽海峡と宗谷海峡で本州やサハリンと隔てられていますが、それぞれの海峡を跨ぐ長大橋の建設構想があります。
津軽海峡は、最も狭い北海道函館市(旧戸井町)と青森県大間町間の20㎞弱を繋ぐ「本州北海道連絡橋構想」(津軽海峡大橋)が1994年に策定され、当時の青森県知事が積極的に誘致活動を推進しました。
一方、宗谷海峡に関しては、ロシアが2008年頃に稚内・サハリン間約43㎞を跨ぐ長大橋を構想していたという話があります。
2018年に完成した全長約50㎞という港珠澳大橋(こうじゅおうおおはし;香港・中国朱海市・マカオ間)が現在は世界一の長さを誇っていますが、どちらもその時代に完成していれば世界最長となる雄大な長大橋構想だったのです。
このプロジェクト、実現への道は遥かに遠く、今は「夢の橋」ですが、諦めずに求め続ければ「幻の橋」ではなく将来は実現するに違いありません。
橋を造る仕事も「夢のある仕事」なのです。
2021年4月第1号 No.95号
(文責:小町谷信彦)