札幌市北区篠路に、赤レンガ造りの小さな建物が建っており、そばに「仙人庚申像移設碑」と刻まれた碑が見える。中を覗くと、仙人姿の像が鎮座している。この像こそ、明治28(1895)年にこの地に入植した人たちが、協力して建立したものという。
翻って北海道の開拓は、明治維新を契機に始まった。本州をはじめ、四国、九州の各地からも移住者が続々とやってきた。集落ごとに集団でやってくる人々も目立った。
移住者たちは鬱蒼たる北の大地に立ち、全身全霊をかけて開拓に励んだ。覆い繁る樹木を一本一本切り倒し、土地を拓いていく。気の遠くなるような大自然との戦いだった。こうして北海道の原野はやがて豊饒な実りの大地へと変貌していく。
厳しい暮らしの開拓者たちの心の支えになったのが、故郷から持ってきた神社の分霊だった。道内の集落ごとに小さな神社が現存するのは、こうした理由による。やがて子供たちが通う寺子屋ができると、通学の安全を願って道端に仙人庚申像が奉られた。
仙人庚申塚=札幌市北区篠路;著者撮影
札幌市北区あいの里の庚申塚には、山岳信仰の開祖といわれる役の行者像が奉られている。右手に錫杖(つえ)、左手に金剛杵を持ち、台座に「見ざる、言わざる、聞かざる」と刻まれている。“三ざる”ともいわれ、何事も慎み深くあらねばならないとする教えを指す。
この塚もまた長年、多くの人々の願いを受け止めてきたであろうことは容易に想像できる。その願いは、日照りが続いたら早く雨が降りますように、赤子が生まれたら無事に育ちますように、病人が出たら一日も早く治癒しますように、というように、広範に及んだことであろう。
秋が深まり、収穫の季節になると、人々はわが家で育てた農作物や果物を神前に供えて、感謝の意を表した。神と人とが一体になるその日こそ、祭りの日であった。
そんなことを考えながら、周辺に広がる地域をゆっくり歩いた。いまは収穫期も済んで静かな佇まいである。
風がひときわ冷たくなってきた。厳しい冬がきて、また春がめぐってくる。庚申塚の前にたたずみ、大自然の織りなす変現を感じながら、この平和がいつまで続くかと、考えていた。
ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。