メロディーを奏でる橋

 旭川市の北西部に位置する鷹栖町は、豊かな米作地帯として知られるが、この町に ”メロディー橋“ と呼ばれる橋があるのをご存知かな。この橋は町道5号を流れるオサラッペ川に架かっている。
 昭和35年(1960年)に木橋が架けられたが、あまり使用されないまま、洪水で流失してしまい、そのままになっていた。しかし自動車の普及で交通事情が急激に変化し、この際、立派な橋を架けようという話になった。

 時の町長は「文化性を盛り込んだ橋にしたい」と述べ、担当の町建築課の職員らは真剣に話し合ったが、職員の一人が、
「欄干を叩いたら歌が流れる、そんな橋ができないだろうか」
 と言いだした。小学生の頃、学校の行き帰りに、手にしていた傘などで欄干を叩いて通った楽しい思い出がこのアイディアにつながったのだという。このあたりは天神ケ峰や羊面山に近く、夕日が落ちる時はひときわ美しく映える。
これだっ! 課員の意見が一致した。報告を受けた町長も、うむ、これはいい、ということで、建設へ向けてスタートした。だが何しろ、歌の出る橋など造ったこともない。議論は行きつ戻りつしてやっと設計図が完成した。

 曲目はその風景から「夕焼け小焼け」と決め、鉄琴板52枚全部にそれぞれの音が出るマレットが取り付けられた。これに従い、橋の名もそれまでの「北野橋」をやめて「メロディー橋」に決まった。
 建設は急ピッチで進み、延長99.9mの新しい橋が昭和56年(1981年)11月に誕生。大勢の町民が集まり、美しいメロディーが鳴り響くなかで、完成を祝った。
 この名物橋はマスコミに大きく取り上げられ、町の自慢になった。他の町でもこれを真似てメロディー橋がいくつか生まれた。小学生の時、近くにある小学校にこの橋を渡って通(かよ)ったという町役場職員の山田貢志さんは、
 「一学期の終業式はこの橋の上で行いました。先生も子どもたちもみんな笑顔、笑顔。なにかというと橋に集まって‥。メロディー橋は町の宝です。」
と語る。
 町を巡ると丸山自然公園に「丸山句碑の森」がある。町営文化ホールの名前は「たかすメロディーホール」。音楽の聞こえる町らしく、文化の香りが漂う。

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。