豊浜トンネル口に立って
ノンフィクション作家 合田一同

公開

 日本海に突き出た積丹半島を巡ろうと、朝早く札幌を出発した。小樽市銭函あたりから海岸沿いを走り、塩谷を過ぎて余市町から国道229号に入る。ほどなく海岸線に出た。
 ここから長いトンネルが三つ続く。最初の滝の澗トンネル(1,321m)、次に豊浜トンネル(2,228m)、そして沖歌トンネル(2,051m)だ。豊浜の集落先が境界線で、この先が古平町になる。
 いまは整備されて絶好のドライブコースだが、かつて断崖下の浅瀬を歩くか、イソ舟に頼らざるを得なかった。それだけにこのコースの全線が開通した時は、感激した思い出がある。
 そんな大切なコースに含まれる豊浜トンネルで恐ろしい崩落事故が起こった。平成8(1996)年2月10日午前8時10分ごろ、古平側坑口付近で、突然、最大で高さ70メートル、幅50メートルに及ぶ岩石が崩れ落ち、通行中の路線バスと乗用車1台があっという間に埋められたのだ。
 救助作業は崩落した岩盤に遮られて思うように進まず、結局、バスの運転手と乗客、乗用車の運転者など合わせて20人の命が奪われる結果となった。
 あれから早くも30年の歳月が流れようとしている。古平側のトンネル口脇に、立派な慰霊碑が立っている。事故の翌年8月に建てたもので、中央に「建碑趣意」が刻まれている。後段部分を掲げる。

  家族や国民全ての願い祈りもむなしくこの崩落によって犠牲になられたことは災禍というには恨みて余りあり 
  まことに悲運というより言葉もない いたましくも悲しい犠牲者のご冥福を祈り 悲しむべき教訓として永遠に生かし伝えるため この碑を建立したものである 合掌

 最後に「豊浜トンネル崩落事故遺族会(210の会)とある。210とはもとより2月10日を意味する。背面には犠牲者として20人の氏名と年齢が刻まれている。10代が8人、20代3人、40代2人、50代2人、60代2人、70代3人。
 この日を決して忘れまいという人々の思いが詰まっているのを感じて、思わず頭を垂れた。

豊浜トンネル 古平側のトンネル口脇(著者撮影)

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。