慌ただしく時は過ぎて
 ノンフィクション作家 合田一道

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 年齢を考えて行動しなくては、と思いつつも、なかなか思うようにはいかない。この一週間も計画を大きく外れた、無茶な日々だった。
 前週の土曜日に同窓会があり、久しぶりに懐かしい顔に出会いながら,宿泊を辞して帰宅した。翌日の日曜日はテレビを見ながらのんびり過ごした。ここまでは確かによかった。問題はその翌日。
 午後3時から以前開講していた受講生グループの会合に招かれて出席し、あまりの懐かしさに、自制していたビールを二杯も飲んでしまった。若いころはいくら飲んでも平気だったのに、と後悔した。
 翌日、飛行機で函館へ飛ぶ。今回は、札幌に住む中島三郎助の末裔の方と一緒に行動させてもらう光栄に恵まれた。空港でチャーターした車の助手席に乗り、まず四稜郭から五稜郭に向かう。何度も見ている風景なのに、なぜか強い印象を抱くのは、同行者のせいに違いないと感じる。
 途中で昼食を済ませて、会場となる谷地頭の碧血碑前へ向かう。車で行けるところまで行き、途中からは徒歩だ。
 碑前には今年も箱館戦争に縁のある方々が多数見えていて、厳かな中にも親しみ深い雰囲気が漂っていた。榎本武揚の末裔をはじめ、土方歳三の姉の嫁ぎ先の佐藤家の末裔、医師として敵味方なく治療した医師、高松凌雲の末裔ら。それに中島三郎助の末裔が加わり、法要が行われ、戦乱に散った先祖の冥福を祈った。
 慰霊祭の後は場所をロイヤルホテル函館シーサイドに移して講演会。最初に私が「函館戦争が意味するもの」と題して講演させて戴いた。続いて木村裕俊さんが「文化財としての壁血碑」の題で講演した。会場は箱館戦争の地元にふさわしく、大勢の参加者で溢れ、活気が溢れた。その後、酒宴が催され、そこここで箱館戦争の話に花が咲いた。
 今回も、箱館戦争縁の人の末裔の方々とお会いすることが出来た。思い起こせば数年前、北海道新聞函館支社の協力で、末裔の方々に集まって戴き、記念座談会を開き、それを紙面に掲載してもらった経緯がある。
 碧血碑が永遠にこの地に立ち続ける限り、ゆかりの人たちは毎年この日に、碑前に集い続ける。それは箱館戦争が生んだ断ち切ることのできない固い絆なのだ。慌ただしく過ぎていく時と対峙しながら、改めてそのことを重く受け止め、瞑目した。

箱館戦争の碑前祭

碧血碑に詣でる参会者たち

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。