川の話題 1「日本には河はない」

日本には河はない

「エジプトはナイルのたまもの」とは、ギリシャ時代の歴史家「ヘロドトス」の言葉。
 ナイル川が生み出したエジプト文明だけではなく、チグリスユーフラテス川、インダス川そして黄河の豊富な水と氾濫によりもたらされた肥沃な大地が、世界の4大文明発祥の源泉と学校で習った記憶が蘇った方も多いのではないでしょうか?
「大河は文明の母」と言われる所以ですが、一方、川の氾濫は人々の命と財産を奪う人類の敵でもあり、川の動きを制御する治水が、土木の始まりと言われています。史実として確認されてはいないようですが、古代の大規模な治水事業としては、紀元前1900年頃の中国の夏朝の創始者、禹(う)王による黄河の治水事業が良く知られており、「治水の神」として中国のみならず日本でも崇拝され、水害多発地区を中心に国内107か所に関連した碑や像が祭られているそうです。
禹王は、治水の仕事に打ち込み過ぎて、手足がひび・あかぎれだらけになっただけでなく、ついに全身が半身不随になってしまったという伝説が伝えられており、国の農民たちから慕われ、尊敬された名君だったことがうかがい知れます。
 さて、この黄河の語源は黄色い河。その上流部には、九州などにも飛来する厄介者、黄砂の発生源となる黄土(シルト)地帯があるため、世界一土砂含有率が高く、恒常的に濁った河なのです。当てのないことをただひたすら待ち続ける「百年河清をまつ」という故事聖句は、まさに黄河から取られたもので、大雨で濁っても雨が上がれば、じきに清水に戻る我が国の急流河川からは想像が付きにくいですね。
実際、この黄河に含まれる大量の土砂の毎年の堆積量たるや凄まじいものでダムや河道整備による洪水抑制機能を低減させ、その流量の少なさによる渇水期の水不足という利水面での課題も併せて、「水を制する者は国を制する」の字義通りに、中国では黄河の制御と活用は、古代以来、現代においても未だなお重要な国家的課題と言えるようです。
 さて、ここで皆さんに質問ですが、“川”と“河”の違いは何でしょう?
 正解は、“河”は大きな川を表す言葉で、元々中国では「黄河」を意味していたとのこと。ややこしいことに、もう一つ、揚子江(長江の下流域)のような“江”というネーミングの川もありますね。これも元々は長江を指していたとのことですが、河と同様に大きい川を意味しています。
 では、日本で大きな川と言うと、長さでは、一番が信濃川、二番利根川、三番石狩川と続きますが、川幅では最も広いのは、荒川の埼玉県内の河川敷で幅が2.5kmとのこと。
一方、黄河の河口幅は約18km。NHKの日曜夜の大型時代劇を我々は通称“大河”ドラマと言っていますが、実は我が国には、世界スケールで“大河”とか“河”と呼べるような大きな川はないのです。ちなみに、揚子江の河口幅は40km、世界一の川幅を誇るアマゾン川の河口は何と300~400km。私はアマゾン川を見たことがないので想像の域を出ませんが、福岡から日本海を隔てた対岸の韓国までの距離がざっと200kmということを考えると、どうやら川と言うよりは太平洋をイメージした方が良いのかもしれません。
 同じ日本人でも、故郷の原風景は色々、川のイメージもそれぞれ趣きが異なるかもしれませんが、中国、ブラジル、ヨーロッパ等々、世界各国の人々の頭の中を覗くことが出来たら、お国柄それぞれ、さまざまな川の風景が楽しめそうですね。 (N.K)