川の話題16「たかが泥炭、されど泥炭~堤防火災の元凶が今注目されている理由」

 最近は滅多に耳にしなくなりましたが、本州では冬の乾燥期にタバコの火の不始末などが原因で、川の堤防の枯れ草が燃え広がり、野火になることがありました。
 一方、北海道でもその昔、春先に堤防が火事という事件は珍しくなかったようですが、何が燃えたかというと、こちらは枯れ草ではなく「泥炭」でした。道外の方には、泥炭と言うより、ホームセンターで売られているピートモスと言った方がピンとくるかもしれません。もう少し正確に言うと、ピートモスは泥炭を脱水、粉砕、選別して農業・園芸用土としたもので、北海道の夕張川の河川敷(高水敷)などの泥炭で作られています。ちなみに、以前は石狩川の河川敷でもピートモスに加工する泥炭採取のための河道掘削が盛んに行われ、河川の河道整備にも貢献していたのです。
 そもそも泥炭とは、枯れた植物が長い間、あまり分解が進まずに堆積したもので、水を吸った状態では文字通りの泥なのですが、乾燥すると固まって可燃性になり、一度火が付くとこれは大変です。かつては、春先の山菜取りの人のタバコの残り火がしばしば野火騒ぎを起こし、堤防を管理する河川事務所には消防ポンプが常備されていました。厄介なのは、火がアリの穴などから地中に入ると地下で燃え広がり、燻り続けます。それで出来た地下の空洞が落とし穴になって、放牧中の牛が転落死するという事故も日常茶飯事だったと言いますから、さぞかし酪農家も難儀したことでしょう!
 それでも、1976(昭和51)年に石狩川下流域の札幌・手稲地区での焼失面積30haの大規模火災を最後に、堤防の盛土の進捗が功を奏して、堤防の火災は沈静化していきました。

 また、泥炭は軟弱地盤を形成し土木工事をてこずらせる厄介者でもありました。
 しかし、いろいろ役に立つこともあります。
 戦後の物不足の時代には貴重な燃料として切り出され、農家の重要な収入源となりましたし、ニッカウヰスキーが北海道で誕生した由縁も、泥炭(英語で「ピート」)でした。
 洋酒好きの方はご存知かもしれませんが、スコットランドのウイスキー「スコッチ」は、大麦を発芽させて麦芽にした後、麦芽の成長を止めるために乾燥させる際に、この地のピートを燃料として使うのですが、それが醸し出すフレーバーがスコッチの魅力の源です。
 そして、スコットランドでウイスキー作りを学んだニッカの創業者・竹鶴政孝を引き寄せたのが余市のピートだったのです。
 土木技術に関しても、「必要は発明の母」とはよく言ったもので、積雪寒冷な厳しい気候を克服するために北海道独自の除雪や寒冷地対応の技術が進んだのと同様に、泥炭という厄介者のおかげで様々な軟弱地盤技術が開発されました。
 
 さて、泥炭地の多くは冷涼な気候で植物の分解が進みにくい高緯度地方に分布し、日本でもその半分以上が北海道に偏在していますが、世界的に見るとシベリア、カナダ、北欧を中心にアジア・アフリカの熱帯地方等のほか、ほぼ世界中に分布しています。
 と言っても泥炭地は地球表面の3%の面積を占めるにすぎないのですが、このわずか3%に世界中の森林が貯蔵する炭素の約2倍の550ギガトンの炭素を固定しているというのは驚くべきことです。
 1997年に起きたインドネシアの大規模な泥炭火災では、煙霧が隣国のマレーシアやシンガポールにも及び、呼吸器障害や視程低下による経済損失が国際的な社会問題になりました。その背景にはオイルバームのプランテーション栽培のために築いた排水路による水位の低下があり、泥炭の乾燥化が泥炭火災の頻発を招いています。そして、インドネシアは今や中国、米国に次ぐ世界第3のCO₂排出国になったと目されているのです。
 また泥炭地は、絶滅の危機に瀕しているオランウータンやトラ等の貴重な動物たちの生息環境なので、湿地保護のための国際条約のラムサール条約でも保護を要する重要な湿地として注目されています。

 北海道の開拓時代、今日の礎を築いた土木の先人たちの大きな課題の一つは、泥炭地という障害をどう克服するかでした。
 今日、脱炭素によって地球温暖化を防止することが、人類の存亡を掛けた喫緊の課題とされる時代となり、泥炭が炭素の塊であるという本質が、実に大きな意味を持っていることが明らかになりました。
 「たかが、泥炭、されど泥炭!」

2023年2月第1号 No.136号
(文責:小町谷信彦)