川の話題 10「現代の水争い~琵琶湖に見る地域間調整の知恵」

現代の水争い~琵琶湖に見る地域間調整の知恵

 水争いは、古今東西を問わず人類史における大きな課題となってきました。
 現代においても、例えばメコン川では、源流部の中国チベットでの大型ダムの建設により、下流のタイ・ラオス国境地帯での漁獲量の減少やタイの穀倉地帯での水不足の深刻化、そして最下流ベトナムでの水不足や河口付近海水の河川への逆流による淡水養殖魚の大量死といった問題が生じています。
 このような国境をまたがる国際河川は、国家間の紛争の源になることがありますが、日本でも地域同士の争いをしばしば引き起こしてきました。

 日本は、イザヤ・ベンダサンが「水と安全がタダ」の世界的に珍しい国と評したように水資源に恵まれ飲料水にはあまり困らない国と見なされるのかもしれませんが、それでも歴史的に干ばつ時には田んぼの水の取り合いが各地で頻発し、流血事件にまで発展したりしたようです。
 ちなみに、千葉県の九十九里平野では、水争いが日常茶飯事で江戸時代から昭和に至るまでに記録された訴訟が50回以上を数え、明治27年には対立する両岸の農民2百数十名が白装束で鍬、鋤、竹槍、日本刀を手に戦ったという尋常でない記録もあるそうです。

 これは比較的狭い範囲での水利用を巡る争いでしたが、もっと影響が大きな範囲に及び、また、利水だけでなく洪水被害の問題も生じる川や湖では話は一層複雑になります。
 その典型例が琵琶湖とそこを水源とする淀川流域、2府4県(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、三重県)にまたがる水争いでした。
琵琶湖は、洪水時には下流の広大な淀川流域の洪水を防ぐ巨大な調整池の役割を果たし、渇水の際には貯水池として京阪神地域一千数百万人の重要な水源となってきました。しかし、琵琶湖は周辺地域から一級河川だけでも118本もの川が流入するのに対して、流出する河川は淀川源流の瀬田川1本だけという特殊な成り立ちのため、大雨が降ると湖への流入量が流出量を大幅に上回り、湖沿岸の住民は洪水被害に悩まされてきました。
奈良時代に各地で橋や溜池を作り足跡を残した僧侶行基は瀬田川に大きく張り出していた大日山を切り取る計画をたてたものの下流の氾濫を懸念して中途で断念したという話がありますが、その後も洪水防御のために瀬田川の起点部の浚渫(しゅんせつ;川浚い)が度々計画されましたが、その多くは下流の京都・大阪の住民の大反対で取りやめとなり、この問題は放置されてきました。

 その上、渇水時の琵琶湖の水位低下も周辺住民の生活に支障を来たす大問題でした。

 そして、この洪水と渇水という相反する課題を解決するべく築造されたのが、明治38(1905)年に完成した瀬田川洗堰(あらいぜき;旧洗堰)でした。これにより琵琶湖から流れ出る水量の調整が可能になり、瀬田川の本格的な浚渫も行われたのですが、上・下流の利害対立から堰の操作規則は決められず、昭和36(1961)年完成の現在の瀬田川洗堰に切り替わった後も大雨や渇水のたびに河川管理者である国を挟んで、堰の操作を巡って上流の滋賀県と下流の大阪府、京都府等が対立を繰り返してきたというわけです。

瀬田川洗堰(出典:ウィキペディア)

 一方、高度経済成長時代の昭和40年代の近畿圏では、地下水くみ上げによる地盤沈下が問題となる中、水需要の飛躍的増大が予想されたことから、琵琶湖の水の一層の活用が検討されましたが、既に問題となっていた琵琶湖の水質汚濁等、周辺地域の生活環境の悪化や自然環境の破壊の懸念があり、滋賀県の理解が得られるものではありませんでした。
 そして、この複雑な地域問題解決の切り札として当時の建設省(現国土交通省)が妙案を考え出しました。
それが昭和47年から開始された国家的プロジェクト「琵琶湖総合開発計画」で、下流域の水需要に対応する「水資源開発」と琵琶湖及び周辺地域の保全、開発、管理を総合的に推進する「地域開発」とを一体的に実施するという画期的なものでした。
そして、この総合開発事業の完了と瀬田川洗堰の操作規則の制定をセットにするという絶妙な飴と鞭によって長年懸案だった2府4県の利害調整は合意に至ったのです。
 このプロジェクトは、昭和49年に新設された国土庁(現国土交通省)の総合調整の下、建設省等6省庁による.国庫補助事業(特例として補助率かさ上げ)により順調に計画は進捗し、平成8年度の完了より前の平成4年、旧洗堰完成から約90年を経てようやく瀬田川洗堰操作規則は制定に漕ぎつけたのでした。

 さて、人間の体は6割が水から成ると言われおり、水は命の源と言えそうです。
それだけに水を巡る争いは現代においても命がけなのかもしれません。
また、争う事情は千差万別で一般解はないのかもしれません。
とは言え琵琶湖問題を解決した知恵からは、多くのことが学べるのではないでしょうか?

(文責:小町谷信彦)
2020年11月第1号 No.86号