天然の良港として古くから交通の要衝だった室蘭は、明治期には石炭の積出港として急速な発展を遂げる。さらに、噴火湾一帯で砂鉄が産出されることなどを背景に製鉄、製鋼所が唸りをあげ、「鉄のまち」として歩みを進めることになる。
ただ、室蘭を良港たらしめる「コ」の字の地形は絵鞆半島側と対岸を隔て、半島部から伊達市方面に行くには湾沿いに回らなければならない。これが街全体の発展の制約になるとみた室蘭開発建設部長が1955(昭和30)年、地元紙の新年号に「初夢」として「湾口連絡橋」の構想を寄稿し、これをきっかけに建設への機運が盛り上がる。一時はトンネル案も検討されたそうだが、曲折を経て1985(昭和60)年に着工、13年後に橋長1380㍍、主塔139・5㍍の東日本最大の吊橋が完成する。