鴨々川
「鴨々川の流れ、人の世の流れ」 文 合田一道 写真 佐々木郁也

公開

 札幌の繁華街、ススキノの一郭を鴨々川が曲がりくねって延びている。
 1906(明治39)年夏の夜、札幌郵便局工務課長の飯沼貞雄は、寄宿舎に戻ると、下駄履きで表に出た。近くの遊郭から三味の音が風に乗って聞こえてくる。目の前を流れる鴨々川のせせらぎが飯沼の心をなごませた。
 北海道が誕生してすでに三十有余年。その発展ぶりを示す「北海道物産共進会」の開催が目前に迫っていた。この共進会は北海道庁長官が会頭となり、道庁、農会、畜産会、蚕虫会、北水会、林業会、園芸会などが主催し、北海道の開拓、発展振りを全国に示す大がかりな催しで、会期は9月10日から20日間に及ぶ。
 飯沼はこの会場に、臨時公衆電話を設置する責務を担っていた。電話が普及しだしたとはいえ、一般の家庭まではまだ及んでいない。実物を見たことがない人も多く、展示しても理解してくれるかさえ疑問だった。
 ふいに遠いあの日が蘇った。追い詰められると決まって脳裏に浮かぶ、おののくような思い出だ。
 1868(慶応4)年8月、貞吉と名乗っていた十五歳の飯沼は、十六歳と偽って会津藩の軍政組織、白虎隊士中二番隊の隊員になり、出陣した。新政府軍と激闘の挙げ句、敗れて散り散りになった。少年たちは、助け合いながら真っ暗闇の灌漑用水路の洞窟をくぐり抜け、飯盛山の山腹まで逃れた。だが眼下は降雨と硝煙にけむり、はるかに鶴ケ松城が燃えて見えた。絶望した少年たちは集団自決の道へ走る。飯沼も短刀で喉を突いて気を失うが、わが子を探索中の女性に発見され、一命を取り留める。
 戊辰戦争が終わり、自分だけが生き残ったのを悔やむ飯沼は、名を貞吉から貞雄に改め、静岡に移って私塾で学ぶ。1872(明治5)年、「電信寮技術等外見習下級申候也」の辞令を受け、工務省技術教場へ。1876(明治9)年、赤間関郵便局を皮切りに、小倉、山口、日本橋、神戸、大阪、熊本、松江、新潟の各局に勤め、この間、日清戦争が起こると朝鮮半島に赴き、電線架設に従事した。この電線が戦場の命令伝達などに用いられ、威力を発揮した。
(あの時、こんな機器があったなら‥)
 飯沼にまた痛恨の追想が頭をもたげてくる。事実を確認していさえすれば、同志らは命を落とさずに済んだ‥。拭っても拭いきれない心の傷だった。
 1898(明治31)年に電信建築技師になった飯沼は、1905(明治38)年、札幌郵便局工務課長として札幌に赴任した。すでに五十二歳になっていた。
 着任と同時に、翌年開会される北海道物産共進会の運営に携わるよう任命された。工業関係の審査委員を勤めるかたわら会場内に公衆電話を二台設置して、電話の重要性をPRする役目である。
 情報を早く伝え合う、それが電話の役目。すべての家庭が電話を設置するようにならねばならないと、飯沼は自らの胸に言い聞かせた。
物産共進会は中の島遊園地(公園)を会場に始まった。飯沼は会場に設置した二台の公衆電話を前に、訪れた見物客に対して、電話の必要性を訴え、利用方法をこまかく説明した。だが関心はまだ低く、期間中の利用回数は合計328回。一日平均15回程度。しかし飯沼はいずれ電話は普及すると判断していた。
 飯沼は会期中、会場に詰め切り、その日が終わると郵便局に戻り、部下の課員の報告を受けた。寄宿舎に帰り、食事を済ませると、決まって鴨々川のたもとに立ち、せせらぎを聞いた。

 真面目で寡黙な性格の飯沼は、勤務中はもとより普段もきちんとした身なりで通した。ある時、局内の宴会で、酒に酔った部下が突然、自決時の話に触れると、飯沼はその場に正座したままワイシャツの襟元を緩めて、「これがその時の傷跡だ」と述べた。座は一瞬、静まり返ったという。
 飯沼が寄宿した札幌・南七条西一丁目の逓信寮跡あたりに「飯沼貞吉ゆかりの地」の碑が建っている。近くに鴨々川が地形に沿って流れている。この川は創成川樋門から鴨江橋まで上流部約2.5キロメートルの流れを指す。鴨々橋脇から鴨々川沿いに歩いた。緩いカーブが心地よい。川音に合わせるように風が舞い、昔日の面影が漂っているのを感じた。
 飯沼は、ここに五年間住み、仙台に転勤して後、1913(大正2)年に退職。1931(昭和6)年に七十八歳で亡くなった。その人生は鴨々川の流れにも似た、ありのままの姿だったように思えてならない。

(写真 合田一道)

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。

 

佐々木育弥(ささき いくや)IKUYA SASAKI

写真家
北海道上士幌町生まれ。東海大学芸術工学部くらしデザイン学科卒業。曽祖母の死をきっかけに写真を通してできる「人とのつながり」に心を打たれ、独学で写真活動を開始。自身のプロジェクトとして「障害のあるアスリート写真展」を企画・発表。広告・雑誌など幅広く手がけ、無印良品・SUBARU・NEC・新建築社・LIXIL・CCCメディアハウス(PEN・フィガロ・単行本)・マガジンハウス・美術手帖・AIR DOなど実績多数。北海道文化財団「君の椅子プロジェクト」から生まれた書籍『「君の椅子」ものがたり』や「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄 30周年記念カレンダー」、現在大規模改修工事中の北海道庁赤れんが庁舎実物大写真シートの撮影など、北海道の魅力を発信する仕事にも力を入れている。
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