北海頭首工・北海幹線用水路
~生命の水を耕地に届ける「Head work」
 文 北室かず子 写真 佐々木郁也

公開

「頭首工が好きでたまらない」と言うと、間違いなく「え?」と聞き返される。頭首工とは農業用水を川から取水するための水門(取水口)、堰、土砂吐門などの総称だ。川を堰き止めて水位を上げ、水を用水路へと取り入れる。私は、仕事柄、北海道各地を巡っているが、道中で頭首工に会えるとドキドキしてしまう。激しい川の流れの中でじっと踏ん張る躯体の力強さ、堰を越流する水の躍動感。この静と動の妙なる対比は、同じ水回りの構造物であるダムでは味わえないものだ。日が暮れるまで、岸辺からその姿を見つめていられたら、どんなに幸せだろう。
 頭首工は英語でHead work。東京帝国大学教授の上野英三郎博士が1902(明治35)年に発表した「土地改良論」に「頭首工」と記された。上野博士は、渋谷駅前に銅像のある忠犬ハチ公の主人でもある。

 前置きが長くなってしまったが、赤平市の空知川に設置されている北海頭首工は、数ある北海道の頭首工の中でも、レジェンドと言うべき存在だ。なぜなら、完成から1世紀近くを経た、伝説の大用水、北海幹線用水路の頭首工だからだ。北海幹線用水路の長さは約80㌔。赤平市から砂川市、奈井江町、美唄市、三笠市、岩見沢市、南幌町までを流れて約2万6000㌶もの農地を潤す。農業専用の用水として日本最長を誇り、北海道遺産にも認定されている。現水路は昭和30年代に国が全面的に改修したもので、北海頭首工も1966(昭和41)年に竣工した。

完成当時の空知川頭首工(現在の北海頭首工;写真提供 北海土地改良区)

 北海幹線用水路の歴史を振り返ってみよう。1924(大正13)年に着工し、重機のない時代の工事にもかかわらず、わずか4年余りで1929(昭和4)年に完成している。事業主体は北海土功組合(現・北海土地改良区、美土里ネットほっかい)である。土功組合は、米の増産と移住者定着のため、北海道土功組合法という北海道独自の法律に基づいて生まれた。農地開拓と灌漑排水施設の造成・維持管理を組合員が共同で手掛ける。1万1100町歩の灌漑を目的とした北海土功組合は、構想と規模において東洋一と称された。

 しかし北海幹線用水路の着工直前の1923(大正12)年、関東大震災が起こり、さらに理事による饗応問題が追い打ちをかけて資金調達に行き詰まる。打開のため白羽の矢が立ったのが、北村びんだった。黽は、北村(現・岩見沢市北村)の開祖として村名の由来となった北村雄治の弟であり、若くして病没した雄治の遺志を継いで北村の基礎を作り上げた人物だ。黽は理事報酬の辞退、陳情のための東京への交通費の自己負担を条件に理事に就任し、銀行融資の個人保証に自分の全財産をかけて資金調達を成し遂げた。黽のお膝元の北村は大部分が泥炭地であるがゆえに、用水路の対象地区から外されていたにもかかわらず、である。なんという清廉、なんという利他の心だろう。『北海土地改良区八十年史』に記された「北海土功組合創成期の功労者たち」の筆頭に黽の名があるのも、納得だ。

 北海幹線用水路を造成する大工事を指揮したのが、安政生まれの友成仲*である。工部大学校(後の東京帝国大学工学部)出身で、北海道庁技手、北海道鉄道事務所勤務、海外視察などを経て空知の大正用水の大工事に関わる。北海土功組合から依頼された時、66歳だった。この老練な指揮官を支えたのが30代前半の若き俊英、平賀栄治だ。東京帝国大学農学部卒業後、官僚となったが、現場での研鑽を積みたいと上野英三郎博士に相談し、友成のもとへ参じた。起点から終点まで約80㌔の高低差はわずか28㍍。その間、動力を使わずに自然の傾斜で流れるように設計した英知には驚嘆するしかない。道路や鉄道をまたぐ水路橋が15カ所もあり、美唄川、夕張川との交差地点ではサイフォンの原理で川底を潜らせている。

美唄川を横断するための逆サイフォン(写真提供:北海土地改良区)

 当時、工事の重要な資材であるセメントは貴重で品質のばらつきもあった。そこで平賀は、入荷の都度、朝3時から張力、圧力試験を行い、就寝中の友成を起こして結果を報告し、朝一番から工事に使えるよう、決裁を仰いだという。こうした技術者のひたむきさと、工事に従事した多くの人々の汗によって、水路は築かれた。

 開拓以来、約150年で、北海道は日本屈指の米どころに成長した。かつて“やっかいどう米”と呼ばれた北海道の米は、今や食味ランキング「特A」に君臨する「ゆめぴりか」や「ななつぼし」を筆頭に、美味しい米として愛されている。その米作りの中心が北海幹線用水路の沿線だ。
 5月、北海頭首工はおごそかな空気に包まれる。敷地内にある北海水神宮で、神職が祝詞のりとを詠み上げる神事が行われるのだ。その後、取水口が開かれて、河水がコンクリート水路を駆け下り、空知の耕地に生命を吹き込む。北海頭首工の最大取水量は1秒あたり44.56㎥、一日あたり東京ドーム 3杯分。お茶碗1杯のご飯に相当する米を育てるために2㍑ペットボトルで90本もの水が必要な現代の高度な稲作において、水を司る北海頭首工は米作りの要、まさに「Head work」なのである。

*友成仲:詳しくは当社HPの「友成仲~不毛の原野を畑に変えた、長大な水の道」をご覧ください。こちらから

北室かず子
ノンフィクション作家
<略歴>
1962年徳島県生まれ。筑波大学比較文化学類卒業後、婦人画報社で編集者として勤務し、徳島で地域情報誌創刊編集長も務めた。1991年よりJR北海道車内広報誌『The JR Hokkaido』の巻頭特集を担当し、ノンフィクションライター、編集者として全道を取材。(一財)北海道文化財保護協会評議員。『ほっかいどう学 新聞』編集人。著書・共著に『赤れんが庁舎物語』(北海道文化財保護協会)、『いとしの大衆食堂』『北の鞄ものがたり』『北大総合博物館のすごい標本』『The JR Hokkaido 北海道への旅』(以上、北海道新聞社)、『学校では教えない日本地図の不思議発見100』(講談社)、『川は生きている―川の文化と科学』(ウエッジ)などがある。

 

佐々木育弥(ささき いくや)IKUYA SASAKI

写真家
北海道上士幌町生まれ。東海大学芸術工学部くらしデザイン学科卒業。曽祖母の死をきっかけに写真を通してできる「人とのつながり」に心を打たれ、独学で写真活動を開始。自身のプロジェクトとして「障害のあるアスリート写真展」を企画・発表。広告・雑誌など幅広く手がけ、無印良品・SUBARU・NEC・新建築社・LIXIL・CCCメディアハウス(PEN・フィガロ・単行本)・マガジンハウス・美術手帖・AIR DOなど実績多数。北海道文化財団「君の椅子プロジェクト」から生まれた書籍『「君の椅子」ものがたり』や「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄 30周年記念カレンダー」、現在大規模改修工事中の北海道庁赤れんが庁舎実物大写真シートの撮影など、北海道の魅力を発信する仕事にも力を入れている。
HP / Instgram

 

頭首工

 頭首工の始まりは、2,000年以上前から水田に取水するために小さな渓流に作られた堰です。最初は木枠や蛇篭に石を詰めた壊れやすい構造でしたが、19世紀後半にコンクリートが実用化され、洪水時でも耐えられる強固な構造になり、洪水時に河川が氾濫し、周辺で浸水被害が生じるのを防ぐためにゲートが可動式になり、洪水時にはゲートが開放される構造に変りました。
 
取水堰の代表的な水門形式
ローラゲート
  最も一般的な形式。扉体の両端に取り付けた主ローラを戸溝内で昇降させることによってゲートを開閉できます。
  コストや維持管理の面で優れていますが、ゲートを引き上げるための門柱が周辺景観を阻害する点が問題となることもあります。
起伏ゲート(フラップゲート)
  扉体の下端部に取り付けた回転ヒンジで扉体を起立・倒伏させて、ゲートを開閉する形式です。 
  周辺風景を阻害しないので景観的には優れていますが、建設費が高く、耐用年数も短いのが難点です。
  また、油圧設備の作動油が、油圧シリンダ・配管が破損したときに河川や土壌を汚染するリスクがあります。
  そのため、近年は作動油に鉱物油ではなく、生分解性油圧作動油を使用するケースが増えています。

頭首工のしくみ(出典:漫画「北海道の土木のパイオニアたち」P79)