十勝川千代田堰堤
~農業王国十勝の礎
  文・写真 秋野禎木

 陽光きらめく川面を、風が渡ってゆく。十勝川の千代田堰堤。9月下旬ともなれば、吹き抜けるのは凛とした秋風である。
 十勝平野を貫くこの川を、幕末の探検家で「北海道」の名付け親として知られる松浦武四郎は、その著「十勝日誌」の中で「此国の母川」と書いている。「母なる川」の言葉通り、豊かな流れは滔々と大地を潤してきた。明治期に入植し、農業王国・十勝の基礎を築いた依田勉三率いる開拓団「晩成社」の面々も、日高山脈の蒼い山影を遠望するこの風景の中を川船で往来した。
 だが、太平洋へと流れ下る大河は一方で氾濫を繰り返し、その傷跡は河川史に深く刻まれてきた。「洪水の度に川は『母なる川』から『魔の川』に変身し、幾多の人命と畜命を奪い、更に一年の稔りを根こそぎ奪い……」。そんな古老の回顧譚が地元に伝わっている。
 この時代を生きた人々にとって「大願」だった治水の大工事が動き出すのは昭和初期。池田町市街地や周辺を蛇行していた流路を直線化することで、地域を氾濫から守り、耕作地を増やそうという「統内新水路」が着工したのだ。さらに、新水路に切り替わることにより灌漑用水の確保に支障が生じることが予測され、その解決策として計画されたのが千代田堰堤だった。
 川を全面的に堰き止め、幾度も危うい増水に直面しながら、1932(昭和7)年から3年近くをかけて幅169・6㍍、当時としては道内随一のコンクリートの堰堤が完成する。この「英知と技術」が、十勝を国内屈指の農業地帯へと導く呼び水の一つとなった。

 堰堤は当初は一段だったが、1975(昭和50)年の台風で被災し、その補強のために副堰堤が建設され、現在の姿になった。
 地域の観光資源でもある瀑布の背後にはワイン用のブドウ畑が広がる。この一帯を大きく変えた治水の技術。「豊穣」の鮮やかな景観は、苦難の歴史と、それを乗り越えようとした英知が織りなす結晶のようである。

<千代田堰堤の概要> 北海道中川郡池田町字千代田
農業用の取水堰堤: 長さ169.6m; 高さ6.48m
選奨土木遺産(平成16年度認定)

<交通アクセス> JR池田駅から車で15分
道東自動車道池田ICから車で15分

文・写真
秋野禎木(あきの・ただき)

元朝日新聞記者/現北海道大学野球部監督
1959年生まれ、北海道小平町出身

千代田新水路と分流堰

(出典:北海道開発局帯広開発建設部ホームページ)
https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/chiyodashinsuiro/ctll1r0000002hgy.html

 千代田堰堤は、灌漑用水の勾配を確保するため川床の高さを高く維持していたため、洪水時には流下能力が不足し、また、堰堤の手前で河道が大きく蛇行しスムーズな流れが阻害されていたことから、昭和50年と昭和56年の洪水時には被災しました。このため、洪水時に流水を分流し、治水上の安全性を高める目的で造られたのが千代田新水路(平成19年運用開始)です。通常時は、新水路の分流堰ゲートを閉めてこれまで通り千代田堰堤側に水を流しますが、洪水時には分流堰ゲートを開けて千代田新水路側にも分流することにより、本川の流水量を減らし、洪水に対する安全性を向上させます。また、新水路の一部には、世界最大級の実験水路(延長1,300m、幅30m、水路勾配1/500)が整備され、実河川スケールでの様々な研究の実験で活用されています。

千代田堰堤・千代田新水路の模式図

千代田新水路の機能