最北の高速道路を行く
 ノンフィクション作家 合田一道

公開

 わが国最北の高速道路は旭川から士別剣淵に至るおよそ50㌔に及ぶコースだ。広大な北海道を一直線に切り割くように、最果ての地平線を目指してダイナミックに延びる光景は、北海道ならではのものといえよう。
 春めく日、旭川開発建設部の河上誠次長の案内で、旭川鷹栖インターから高速道路に入った。なだらかに広がる上川盆地の段丘に沿って作られた四車線の高速道路を、車は快適に走った。通行車両はそれほど多くない。両側面に雪の壁が溶けだしていて、季節の移り変わりを感じさせる。
 このあたり比布町蘭留(ぴっぷちょうらんる)と呼ばれ、高速道路と国道40号とJR宗谷線の三線が交差する珍しい地点だ。折しも特急列車が轟音を上げて通り過ぎた。
 ほどなく和寒に至る。「ワッサム」と呼ばれるように、厳寒の地として知られる。その寒さを逆手に取った町の特産品が越冬キャベツ。いまや引っ張りだこの人気という。雪が融け、春になると一斉に畑の作付けが始まるが、一番の作付けはカボチャで、面積は全国一というから凄い。
 高速道の両側に時折、斜めの壁面が現れる。グリーンベンチ工法と呼ばれるもので、斜面の安定化を図る工法なのだという。ほかに安全性を考慮した施工方法が採られているそうだ。
 高速道路を降りて国道40号を走り、途中から脇に延びる道路を行くと、JR塩狩駅があり、宗谷線の鉄路が地形に沿って延びている。ここが三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台で、長野政雄がわが身を捨てて暴走車両を止めた殉難の地である。
 その日―、明治42(1909)年2月28日、名寄発旭川行き列車が、ほぼ満員の乗客を乗せて塩狩峠の急勾配を登っている途中、最後部の一両の連結器が突然はずれて逆行しだした。たまたま乗車していた旭川駅職員の長野政雄は、とっさにデッキに出て非常用のハンドブレーキを回したが、車両は止まらない。一瞬、長野は線路に身を投げた。車両は停止し、長野は轢死(れきし)したが、多くの乗客は救われた。
 事故現場のほど近くに、移設された旧三浦家が建っていた。いまも訪れる人が多く、長野の命日になると、この地に集い、祈りを捧げるという。
 車は高速道和寒(わっさむ)インターチェンジから入って、また快調に進んだ。このあたり時折、中央分離帯を施した区間が見える。丘陵地を巧みに生かして上下線を分離するなどの手法が取られた箇所だ。河上次長によると、自然林を残すなど工夫を重ねた工法によるものという。

道央高速道 和寒インター~士別インター間

上下線を分離して自然林を残した高速道路

 右手にビバアルパカ牧場が見えてきた。剣淵町の自慢の施設で、「大人の秘密基地」なのだという。えっ、ヒミツキチ。もっふもっふのアルパカに触れて、記念写真を撮る大人が多いのだそう。あっ、そうか。
 この剣淵町は、これから向かう士別市とともに、最後の屯田兵が入植した地として知られる。そんな町の自慢が「絵本の里けんぶち」。絵本の館があり、子供向けの絵本が並んでいるのだ。幼いうちから絵本に親しませようという狙いから設置されたもので、心から拍手を送りたい気持ちだ。
 ここを通過して士別に入る。もうひとつの最後の屯田兵が開いた町だ。高速道路を降りて市街地への道を辿る。この町は、地名の士別の「士」から「侍」を標榜しているのが特徴だ。思い起こすと新聞記者時代、士別を表現するのに「標津(しべつ)」と間違わないよう「さむらい士別」という呼び方をしたものだ。ちなみに標津は「ひょうつ」だった。
 市街地を歩くと「さむらい」の表記が溢れていて驚かされた。中心街の店の玄関に「さむらい士別」の文字が見え、店内を巡ると「さむらい商品」が目につく。一番インパクトが強かったのが士別の米。米袋に、剣を振るう武士の姿が描かれ、「米作り一筋 侍士別」と記されていた。
 そういえば昔、ここに名物屯田兵がいた。曲がったことが大嫌い、「あばれ熊」の異名をとる豪快な男性、菅原太吉。この人物をまとめて本にした思い出がある。
 市街地から国道239号を辿って隣町との境界点となる士別峠に向かう。この頂上に「拓魂 流汗之碑」と刻まれた碑が建っていた。二段構えの大きな石碑はまだ雪に埋もれていたが、難工事であったことを示すように、下部に建立(こんりゅう)記念賛同者などの氏名が刻まれているはずだ。
 高速道に戻って帰途へのコースを辿る。この道路の開通がどれほどの影響を与えたかを考える。一番は道央圏と道北圏が結ばれて、急患をはじめ輸送面の対応が素早くなったことだ。そして観光事業がひときわ大きく展開され出している。
 今後、名寄を経て稚内へ高速道路が繋がれば、北海道の中央に位置する旭川の存在は、より重要性を増していくだろう。そんなことを考えながら描く夢は、果てしなく広がっていく。

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。