防災の話題13「土砂災害大国 日本~その歴史の一コマを辿る」

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 2か月前(令和7年9月30日)に東京・杉並区で住宅の擁壁が突然崩落した事故は全国に波紋を広げました。実は各地で老朽化して危険と思われる擁壁が多数あるにもかかわらず、その対策はあまり進んでいなかったからです。
 この事故は、ほぼ平坦な地形の武蔵野台地の一角での高さ5mの擁壁という、比較的安全と思われる場所で起きたこともあり、国土の約7割が山という地形条件から、これ以上に危険な急傾斜地がいくらでもあるわが国にとって、大きな警鐘となりました。
 もちろん、その対策は順次進められ、また崩壊の危険のある急傾斜地は、法律で土地の改変や施設の設置などを制限されています。傾斜度が30度以上で、崩壊により相当の被害のおそれのある土地は、それを助長・誘発させるおそれのある隣接区域も含めて災害防止のために制限が課されているのです。
 この規制の対象となる土砂災害危険区域は全国で実に18,520か所(令和5年4月1日現在)にも上ります。
 ちなみに、土砂崩れは、その規模などによって、雨や地震などで斜面表層が急激に崩れる「がけ崩れ」、斜面全体が地下水などの影響で下に滑り落ちる「地すべり」、特に深いところの地盤まで塊になって崩れ落ちる「深層崩壊」とその呼び方が違うことからも、長年土砂崩れと否応なく共に歩んできた日本人の歴史を感じます。

 さて皆さんは、「蛇崩れ(じゃくずれ)」「蛇落(じゃらく)」という言葉をお聞きになったことはありませんか?
 まだ前近代の時代の人々は、大蛇が暴れて土砂崩れを起こすと考えていました。それで、土砂崩れのことを「蛇崩れ」とか「蛇落」と言っていたようです。
 例えば、戦国時代には香川勝雄という十五人力の武士が大蛇を退治して土砂崩れを防いだという記録があるようです。また、江戸時代の広島藩の土地台帳に記載された上楽寺(上楽地;じょうらくじ)という字(あざ)にその地名に由来する上楽寺というお寺があり、そこには「蛇落地観世音菩薩堂」、その近所には「蛇王池大蛇霊発菩薩心妙塔」と刻まれた碑が立っているとのことです。つまり、この碑は、土砂崩れを起こす大蛇の霊をまつったものと考えられるのですが、「蛇王池は香川勝雄が退治した大蛇の首が飛んで落ちた地」という言い伝えがそれを裏付けています。
 そういうわけで、上楽寺は元来「蛇落地」(じゃらくち)だったのが、天下泰平の江戸時代に「上楽寺」(じょうらくじ)に変わったのではないか、 という説もあります。
 では「上楽」とはどういう意味か調べてみると、どうやら苗字には使われものの、熟語としては使われないようです。どうも仏教用語の「常楽」(永遠の幸福)と混同されたりするようですが、いずれにしても最上の楽しみというイメージを醸し出すこの地名、「蛇落」とは真逆で何とも皮肉なことです。
 土砂災害の危険性は、その地形や堆積物などをよく観察すると色々な証拠が浮かび上がってきますが、 碑や昔からの言い伝えも津波の場合と同様、過去の災害の痕跡が残っている。

 「故きを温ねて(ふるきをたずねて)新しきを知る」(孔子「論語」)
 現代のデジタル世代にとっては死語かもしれませんが、防災にはこういう視点も大事ではないでしょうか?

2025年12月第1号 No.174
(文責:小町谷信彦)