防災の話題11「過去の災害が教えてくれる教訓」

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 歴史を学ぶ必要があるのは何故でしょうか?
 最もシンプルな答えは、「歴史は繰り返すから」かもしれません。
 資本論で知られるカール・マルクスは、ナポレオン(ナポレオン1世)とその甥ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)の生涯を取り上げて「歴史は繰り返す」と語りました。どちらも国民的人気を得て共和制のトップの座に就いたものの、最後は皇帝として独裁者に転じ失脚、という同じような運命をたどったからです。
 ちなみに「歴史は繰り返す」はローマの歴史家ルーフスの言葉とされていますが、マルクスはその言葉を引用し、その後に皮肉を込めて「最初は悲劇として、次は喜劇として」という言葉を付け加えました。

 しかし、本当に「歴史は繰り返す」のでしょうか?
 厳密に言えば、多くの場合は、当たらずとも遠からず、という感じではないでしょうか?
 なぜならば、人類史に残る様々な出来事は、一見似たように思えても、その背景やプロセスは様々、一つとして同じではないからです。それゆえ、同じような失敗を何度も繰り返すのでしょう。

 とは言え、確かに過去の歴史を繰り返し、しかも命を守る上での貴重な教訓を教えてくれる出来事があります。
 それは何でしょうか?
 特定の地域に固有の地震、水害、津波などの自然災害の歴史です。
 自然災害は、地球のプレート構造や地形、気象・水象などと密接に関連する自然現象なので、特定の地域では必ず繰り返し起きるのです。とりわけ、日本は災害大国です。忘れた頃に必ず災害はやってくるのです。
 というわけで、このコラムでは、2011年の東日本大震災の津波被害が残した教訓の幾つかをご紹介したいと思います。

 一つ目の話題は神社についてです。
 海岸沿いの町なら、古くからの神社は多くの場合、高台に立地しています。過去の津波の経験から安全と想定される場所に陣取っているわけです。例えば、宮城県の南三陸町の荒沢神社は貞観津波(869年)の頃に作られ、慶長三陸津波(1611年)をはじめ数々の津波を潜り抜けてきましたが、今回の東日本大震災では、台上のご神体は無事だったものの、本殿は1mも浸水したとのこと。過去の教訓に加えて、これからは想定外も想定しておく必要がありそうです。

 二つ目は松林についてです。
 陸前高田の「高田の松原」は江戸前期以来、明治・昭和の三陸津波やチリ地震津波から町を守り、燃料となるマキを供給する貴重な林でした。しかし今回の大津波では、「陸前高田の一本松」を除く全ての松は根こそぎ流され、流出した大量の木が住宅を破壊、被害を拡大してしまいました。これは、根が浅い松ではなく、根を深く張る常緑樹を植える方が良いというレベルの話ではなく、そもそも樹林による津波・高潮の防御の限界が明らかになったということです。
地域住民の命を守るために、「白砂青松」、白い砂浜の青々とした松林という美しい海岸風景をあきらめなければならない場所も出てきそうです。残念なことです!

 三つ目の教訓は津波到来時の避難についてです。
 三陸地方では、繰り返される津波の教訓から「命てんでんこ」とか「てんでんこ」という言い伝えがあり、津波が来たら「てんでんばらばらに急いで逃げよ」と昔から教えられてきたそうです。そして、一部の市町村では防災訓練に「津波てんでんこ」というフレーズで取り入れられ、本番でも多くの人が助かったのはこの訓練の成果と言われています。
 津波避難は一秒一刻を争うので、自分が助かることを第一に考えるように、というわけです。
 さて、高台に立地する大船渡小学校は災害避難所に指定されていたので、児童だけではなく地域の住民も集まりましたが、校長は遠くから迫り来る津波の様子を目にし、その場に留まることは危険と判断。さらに高い所にある大船渡中学校に移動するよう指示するとともに、裏手の斜面を急いで上るよう皆を促しました。この臨機応変な判断が人々の命を救いました。
 危険に直面した時、当初の計画やマニュアルよりも目の前の現実に対する直感の方が大事という教訓です。
 災害はいつ何時起きるかわかりません。いくら物理的に備えていても、想定外はあるもの。最後に頼れるのは自分です。状況をよく観察し、冷静に判断できる洞察力と直観力を身に着けておきたいものです!

2025年7月第1号 No.167
(文責:小町谷信彦)