小樽港北防波堤
~北海道開拓を支えた近代港湾建設の金字塔   文 関口信一郎

公開

 ある秋の晴れた日、眺望が開けたホテルのレストランで、のどかな小樽港を眺めながら談笑していた時、キラキラ輝くものが周期的に移動しては消える現象に気づいた。目を凝らしてみると、沖に長く伸びた北防波堤の先端に向かって波が次々と打ち付けては砕け散り、それに光が反射して輝いているのであった。まるで水の花が開いて防波堤にそって走る運動を繰り返しているように見え、時の経つのも忘れてしばらく見入っていた。

 砕ける散る波の連続は北防波堤を走るように見える

 このような現象がみられるのはひとえに北防波堤の配置と構造によるものであるが、設計者がこの演出を意図していたかは定かではない。北防波堤は、世界で初めて計算によって設計された防波堤である。設計者である廣井勇が初めて実用波力式を導き、それをもとに北防波堤が建設された。その波力式は、北防波堤のモデルとなったコロンボ港防波堤が被災したのち、設計を変更して防波堤の幅を広げた事例に当てはめて検証された。『この設計変更はコロンボ地方における波力を推定するのに十分である。まさしく幅7mの旧堤は激浪に耐えられなかったが、幅10.4mの新堤はよく対抗することができたからである』と廣井勇博士は著書「築港」で述べている。この発見の感動はいかばかりであったろう。「築港」には「ハーバーズ・アンド・ドックス(”Harbours and Docks”)」に記載された被災状況の文章が、ほぼそのまま和訳され掲載されている。
 防波堤が波を斜めから受ける効果は当初から計算されていた。斜めから来襲する波が防波堤に到達する時間に差が生じ、砕けた波が次々と防波堤を超えて港内を擾乱する程度は、一度に越波する時と比べはるかに小さい。そのため、防波堤の高さを低く抑えることができ、衝突した波が砕けて飛び散る様子を街からも見ることができる。このような現象は北防波堤の建設中から見られたであろう。
 北防波堤の建設が始まる1897(明治30)年、北海道における海陸の交通の要である小樽港は、すでに神戸と東廻りと西廻りの定期航路で結ばれ、全国海上ネットワークの一翼を担うまでに成長していた。しかし、入港船舶が急速に増加するに従い、荒天時には船舶の破損や荷痛みが続発し、北海道開拓の大きな支障になりつつあった。

     建設中の小樽港北防波堤(小樽市総合博物館蔵)

 近代化の遅れた日本は外国人技術者を招聘して社会基盤の整備を進めたが、彼らの力をもってしても港湾建設だけは難しかった。その最大の課題は2つ、一つは波力の計算、そして海水でも壊れないコンクリートブロックの製造方法であった。それらの世界的な課題を鮮やかに解決した廣井勇博士の設計により、我が国初の外洋防波堤として日本人だけの力で建設されたのが小樽港北防波堤である。

 海面下約5.5mまで捨石マウンド(コラム参照)を盛り上げて均し、その上に当時最先端の機械化一貫施工であるスローピング・ブロック・システムによってブロックを斜めに積み上げて一体化した。さらに海面近くまでマウンドを盛り階段状にブロックを積んだことで、波が流れとなって防波堤に衝突して花火のように砕け散る現象が起こる。外洋に面する水深10m以上の海底から海面近くまでマウンドを盛りブロックを設置した混成防波堤(コラム参照)は、我が国には存在しない。マウンドを高くすると海中におけるブロック積みの作業を少なくできるが、波力が増大するからである。この堅固な構造は、「合理的な構造で、絶対に壊れない防波堤をつくる」という廣井勇博士の不退転の決意の表れである。その点からもユニークな防波堤である。

ブロックを斜めに積み上げた北防波堤の断面
海側に波を砕きマウンドを保護する階段状ブロックを置く

 港湾建設の課題が解決したことで、鉄道延伸にあわせ釧路、留萌、室蘭、網走、稚内の港湾建設が可能となり、開拓の進展に合わせて海陸の交通ネットワークが広がっていった。しかし、気象・海象の予測ができない中での港湾建設は試行錯誤の連続であり、廣井勇博士の指導と内田富吉、伊藤長右衛門等の教え子たちの創意工夫、それを支える多くの人夫たちの労苦によって進められたことを忘れてはならない。
 北西の風が爽やかに吹く晴れた日は、小樽港を一望する高台で歴史の声に耳を傾けながら、北防波堤に舞う水の花を楽しんではいかがでしょうか。

(写真:小樽市総合博物館蔵以外は、いずれも国土交通省北海道開発局小樽開発建設部小樽港湾事務所提供)

<交通アクセス>
【バス】JR小樽駅から高島3丁目行き 手宮1丁目下車、徒歩6分
【車】札樽自動車道 小樽ICから約5㎞
( 眺望スポット:手宮公園 【バス】 同上 高島3丁目行き 手宮下車、徒歩5分)

混成防波堤

小樽港北防波堤のように、海底に石を積んで表面を均して基礎(捨石マウンド、または単にマウンドという)を造り、その上に垂直にブロックを積み上げるか、鉄筋コンクリート製の箱型の桝(ます)(ケーソンという)を設置する構造を混成(防波)堤と呼び、我が国で最も一般的な構造である。一方、石やコンクリートブロックを積み上げる防波堤を傾斜堤、また切り均した海底面にほぼ垂直にコンクリートブロックを積み上げるか、ケーソンを設置する防波堤を直立堤と呼ぶ。混成堤は、その両方の構造から構成されているのでその名がある。

 

      傾斜堤

      混成堤

      直立堤

   ケーソン
桝の内部に砂を充填し、コンクリートの蓋をする

萩原建設株式会社 特別顧問 関口信一郎

1950年岩手県生まれ
工学博士(2001年)
北海道大学大学院工学研究科修了。旧北海道開発庁(現国土交通省)入庁。旧運輸省(現国土交通省)港湾技術研究所、水産庁漁港部、北海道開発局等に勤務。現在、萩原建設工業株式会社特別顧問。著書に『シビルエンジニア廣井勇の人と業績』(2015)、『北海道みなとまちの歴史』(2020)。