岡﨑文吉と合衆国の大動脈ミシシッピー川
萩原建設(株)
特別顧問  関口信一郎

 石狩川の治水に偉大な功績のあった岡﨑文吉(1872-1945)が1908年に開発した岡崎式マットレス(正式名は屈撓(くっしょう)性(せい)鉄筋混凝土(こんくりーと)単(たん)床(しょう)。図1)は、改良が加えられ2000年代に入っても物流の大動脈であるミシシッピー川の護岸保護工として機械化一貫施工法により敷設されている。そのミシシッピー川の物流システムは、「五大湖・ガルフ連絡深水路」(Lakes-to-Gulf Deep Water way)といわれ、水路沿線の都市はもちろんのこと、特にミシシッピー川の最下流にあるニューオリンズ港を支えている。本稿では、この連絡深水路Deep Waterwayの建設までのミシシッピー川をめぐる経済活動と岡﨑文吉の貢献について述べる。

図1 石狩川の岡崎式マットレスの現状

 北米大陸の西に聳(そび)えるロッキー山脈と東のアパラチア山脈の中央に位置する大平原を緩やかに流れ下るミシシッピー川は、流域面積が合衆国48州の約4割を占める北米第一の大河である。そこに「中西部」と「南部」の大農業地帯が広がる。その流路のほぼ中央に位置するセントルイスは、かつて岡﨑文吉の恩師である廣井勇が渡米してミシシッピー河口改良工事に携わり9か月間過ごした都市であり、西からミズーリ川、東からオハイオ川が合流し鉄道と道路が4方に広がる交通の要衝である。ミシシッピー川はその下流でイリノイ川を合わせ、ニューオリンズを経てガルフ(The Gulf)といわれるメキシコ湾に注いでいる。大農業地帯で生産される輸出向け農産物は、鉄道や五大湖水運によってニューヨークなどの東岸諸港に向かうとともに、ミシシッピー川によって下流のニューオリンズに向かうものが圧倒的に多い。ミシシッピー川の本支流を合わせた延長2,400kmは航運に適し、ニューオリンズを農産物輸出港として発展させた。

 ニューオリンズはNew Orleans(新オルレアン)という名前が示すように、1718年にフランス人によってミシシッピーの下流左岸に建設された植民都市である。1804年に合衆国がナポレオンからミシシッピー川以西のルイジアナを購入した当時のニューオリンズは、木造家屋100戸ほどの小さな集落であった。その頃、オハイオ川流域では小麦・トウモロコシ・肉牛・豚による混合農業がようやく定着し、「南部」ではタバコ・綿・藍・サツマイモのプランテーションが拡大し始めていた。それらの農産物が増大するにつれ、余剰分は平底の川船に積まれてニューオリンズで本船に積み替えられた。やがて、汽船が航行するようになり、1815年にはニューオリンズからオハイオまでの航路が開設された。ミシシッピー水運の最盛期である1880年にはニューオリンズに集荷された綿花のうち、水路によるものが108万俵、鉄道によるものが62万俵であった。当時、綿花は合衆国の総輸出額の半分を占め、ニューオリンズが最大の積出港であった。その後、水運は相対的に衰退してゆき20年後には水路と鉄道の比率が1:6に逆転したが、「中西部」の諸州が南方への水路の活用を強く要望したことを受け、連邦政府が輸送費の低廉な水路の重要性を再認識した結果、1920年代初期から大規模な水路改修工事が行われ、ミシシッピー水系の輸送は再び発展期を迎えた。まず、オハイオ航路の難所であったルイビルの急流部が運河化され、次いでイリノイ川とシカゴを結ぶ旧式の運河(イリノイ・ミシガン運河)が改修されて’Lakes-to-Gulf Deep Waterway’が全通し、さらにセントルイス以北の本流も増深された。1980年時点において、連邦政府が管理する最小水深9フィートのDeep Waterwayのシステムは、ニューオリンズを最大中心に「中西部」と「南部」に広がっており、新しい輸送方式の導入により輸送能率が大幅に高められた(図2)。

図2 合衆国中央部のDeep Waterway

 新しい輸送方式は、1000トン積み艀(バージ)を前後左右に連結し、1隻の強力な押し船(towboat)で推進する方法であり、原価の安いバラ荷に限られている(図3)。艀1隻で鉄道貨物なら15台分、大型トラックなら58台分を積み込む。それを25隻連結すると鉄道貨物で375台分、大型トラックなら1450台分になる。シカゴとニューオリンズの間を、下航に11日、上航に14日を要した。輸出用トウモロコシ、大豆、小麦など穀物の下航が圧倒的に多いが、オハイオ川からの石炭や鉄屑、沿岸諸都市からの化成品、植物油、油粕などもニューオリンズの重要な到着貨物であった。重要なターミナルビルは、図2に示すようにピッツバーグ、ノックスビル、シカゴ、セントポール、シューシテイーなどであり、シカゴにおいて五大湖航路と接続している。

図3 ミシシッピ川に押し船によって航行する貨物バージ(US Army Corps of Engineers : "Project Information Forder")

 このDeep Waterwayに着手する以前、ミシシッピー川の航路維持に不可欠な河床と護岸を保護するマットレス工法は大きな問題に直面していた。それまでのマットレスが脆弱なことに加え、その下に敷く柳の木が枯渇して工法の抜本的な見直しが必要になっていたのである。この深刻な問題は、岡﨑文吉の考案した岡﨑式マットレスによって解決された。鉄筋コンクリートブロックをワイアーで連結した岡﨑式マットレスは、頑丈で柔軟性に富み価格も廉価であった。ミシシッピー河川委員会(MRC)と工事を担務する合衆国陸軍工兵隊は、岡﨑が英米の工学専門誌に発表したマットレスの論文に瞠目し、現地に適応するように構造から敷設までの全工程に改良を加えたうえで1917年にアーカンソー州レッドフォーク近辺のアーカンソー川にそのマットレスを敷設した。それ以来、2000年に入っても工事を継続し大きな効果を上げてきた。図4、図5は、岡﨑式マットレスを借用して1980年代に入ってから開発されたA.C.M.被覆護岸システム((the articulated concrete mattress revetment system.)によるマットレスの編み上げ作業と、護岸保護の現状である。航路学会常設国際会議は「岡﨑式システムは米国の技術史に広く紹介され、MRC技術者は驚嘆の眼差しで、考案者が数え上げた長所に注目したに相違ない」(『航路会議常設国際会議百年史1885,第3章被覆工法による河岸保護史』)とその功績を絶賛した。

図4 岡崎文吉とマットボード上のマットレス編み上げ作業全景(The Mississippi Cmmission/AnAmerican Epic.By Michael C.Robinson.pp44.1989)

図5 A.C.M.によるミシシッピー川ピッツバーグ管区の護岸保護の現状

 ミシシッピー川を中心としたDeep Waterwayだけでなく、世界の物流は古代から水運によって支えられてきた。詳しくは、2023年7月刊行予定の「世界港湾史-港と水運ネットワークの発達」(亜璃西社)をご一読願いたい。
(図1、図4、図5は浅田英祺「アメリカにわたった岡崎式マットレス」より引用。図2はFaulkner, H. U.: American Economic History, New York, 1966.およびPatterson, J. H.: North America―A geography of Canada and the United States, Oxford Univ. Press, 1975より引用)

萩原建設株式会社 特別顧問 関口信一郎

1950年岩手県生まれ
工学博士(2001年)
北海道大学大学院工学研究科修了。旧北海道開発庁(現国土交通省)入庁。旧運輸省(現国土交通省)港湾技術研究所、水産庁漁港部、北海道開発局等に勤務。現在、萩原建設工業株式会社特別顧問。著書に『シビルエンジニア廣井勇の人と業績』(2015)、『北海道みなとまちの歴史』(2020)。