「世界の運河の歴史(運河の話 第2話)」
北海道産業考古学会長 山田 大隆

1. 運河技術とは何か
まず運河とは何か。その標準的文献として、久保田稔(編著)『運河と閘門』(平成11年)がある。この文献は以下のようにして出版された。運河は明治以降の鉄道ネットワークの隆盛に先行する(海外も同じ)、幕藩時代から日本の国土開発と経済文化形成の基礎となったものだが、現在消失しつつある産業遺産である。日本内陸舟運の技術を対象とし、その技術遺産と文化を永久記録するために、久保田氏(大同大学教授)が中心となって2007年に結成し、国交省、農水省、河川環境管理財団が支援した「河川文化の足跡―日本の閘門を訪ねて」として、2008年10月から1年間48回「日刊建設工業新聞」に掲載され、それがこの刊本になったものである。豊富な海外運河遺産の取材と、国内163ケ所の運河閘門を調査記録掲載した日本運河史の記念碑的出版物である。

この本では、運河が河川から河川へ山超えする場合、階段式運河とトンネルを使用する。急流を避ける場合は、並行運河を掘削する。閘門技術はルネッサンス期の画家、技術コンサルタントのレオナルド・ダビンチのマイタ―ゲート(水密用に川上にハ字で開く閘室扉)の開発が嚆矢であることは有名である。この扉開閉はパウンド・ロックとして、イギリス産業革命期のブリッジウオ―タ―運河技術(ブリンドリ―設計)で発展全盛となった。

写真1 階段式運河の例(英国ウエールズ)(出典『運河と閘門』)

この本では階段式運河以外に、欧州ではリフト(エレベーター)、インクライン、ビッグシュート(ケーブルカー式インクライン)、カウンターウエート式インクライン、大型船舶用横型インクライン、回転リフト式インクラインの例が紹介されている。インクラインは京都琵琶湖疏水の蹴上インクラインと異なり、欧米では産業革命進展下で大量錬鉄使用が可能となって各国の産業革命の発展を反映して、鉄骨製の大型構造物が多い特徴がある。この技術例として、水平運河ではフランス・リール運河、ドイツ・ルール運河、階段式ではイギリス・ヨーク運河、イギリス・リ―ズ・リバプール運河、リフトではカナダ・トレンチ・マージー運河、インクラインではビッグシュートの例としてカナダ・トレント・セバーン運河、カウンター・ウエート式ではベルギー・ロンギエール運河、横型インクラインの例ではドイツ・マルヌ・ライン運河、その巨大横型ではイギリス・グランドユニオン運河、最新の回転式インクラインでは、落差10mをかつて11段階段式で昇降に2時間を要したものが15分で通過するリフト技術に改良をそれぞれ紹介している。

次に具体的に明治日本が参考とした各国の運河技術を見てみる。

2.ヨーロッパの運河遺構

ヨーロッパの先進工業国では産業革命遂行の物流促進用に、水平、階段式、インクライン、リフト式の運河技術による運河網が発達した。特に産業革命先進国のイギリスの運河密度は突出していた。

<フランスの運河遺構>

19世紀北部フランス・リール市のリ―ル工鉱業地帯(製鉄と繊維工業)で使用された運河遺構が現存している。この運河を使用して、繊維製品、石炭、鉄鋼機械製品を運搬した。運河遺構はルイ14世指揮のミディ運河(地中海と太平洋をガロンヌ川経由で結ぶ全長240km、支流360km、19世紀鉄道代替まで使用、1996年世界遺産)に始まり、運河のような大型土木事業は国家事業である典型である。ルイ14世時代、多数の城郭も建設され、フランスは20世紀初頭に大陸開発で実力を蓄積したアメリカに抜かれるまで世界最大の土木工学国家であった。北海道大学付属図書館北方資料室には、1980年代に整備された、札幌農学校舶載工学洋書(札幌農学校旧蔵文庫)があり、筆者の調査でも19世紀の仏語工学洋書多数を見ることが出来た。北海道開拓では、北海道庁により、北垣国道知事、岡崎文吉技師により、国策で高額費用投入により、札幌、長沼運河建設が行なわれた。

 

<スウエ―デンの運河遺構>

良質鉄鋼石スウエ―デン・スティール生産で著名の北欧の工業大国スウエ―デンの最大工業都市はヨーテボリ市で、その国鉄駅前に、製鉄原料、鉄鋼製品を輸送した19世紀後半建設の運河と閘門遺構が保存されて観光資源となっている。市内各所で生産の自動車、航空機、兵器、機械ほかの工業製品のヨーテボリ港までの輸送に使用された。

写真2 スウエーデン・ヨーテボリ市内運河閘門(山田大隆撮影)

<ドイツの運河遺構>

工業大国ドイツの中心は、北ドイツのル―ル工鉱業地帯(炭鉱と製鉄製鋼所)で、かって世界の工場として2つの大戦で軍事製品武器を大量製造し、軍事国家ドイツを支えた。炭鉱のGHH社、製鋼兵器製造のクルップ本社(エッセン、ボッフムほか)の所在地で、1980年代の重工長大産業衰退、開発途上国工業隆盛化で衰退し、現在はIBAによるデューイスブルグからドルトムントまで東西150kmの世界最大規模の広域エコミュージアム(エムシャーパーク、1999年~、23ヶ所の製鉄所、炭坑遺産群、旧東独地区にもあり)として世界の博物館関係者、観光客の耳目を集める。この工業地帯の物流(石炭、鉄鋼石と鉄鋼製品)発展にライン・ヘルネとエムシャ―運河が中心的に稼働した。現在、この両運河は保存され、産業観光用に長い水平運河と大型リフトが稼働公開されている。

ほかにエルベ川に架かる大型高架水道(アキダクト)があり、ナローボート航行の狭い錬鉄水路とアーチ式橋脚で支えるイギリス式と異なり、後発のドイツの高架水道は、最初から大型船航行可能の広い水路と支える巨大な鉄鋼製鉄橋橋脚構造を持っていた。

写真3(左) 高架水道の使用例(ドイツ・エルベ川)(出典『運河と閘門』)

写真4(右)インクライン(縦型、横型)の例(出典『運河と閘門』)

3.アメリカ・カナダ・パナマの運河技術と岡崎文吉の運河開削の先進性

これらの国の後発産業革命国は、輸送体系としての運河建設を、ヨーロッパ技術を大型化する型で発展させた。アメリカ・カナダの舟運は最終的には大陸横断鉄道建設で鉄道輸送が主流となり代替されたが、その規模は水平運河は自然河川のように広く深く、1万トン船も通行可能だった。パナマ運河は閘門も大きく、扉高さは10mを超え、大型蒸気機関(現在は電動)で扉開閉を行なう。リフトは大型船のため使えず、船の昇降は基本的に階段式である。カナダではリド―運河(2005年世界遺産)、アメリカ・セントローレンス運河がある。アメリカの階段式運河遺構では、ヨーロッパ由来の運河遺構が運河公園内に開拓遺産として保存、日本にはない運河船での閘門通過体験航行イベントも盛んである。

世界最大の閘門式運河のパナマ運河(1880~1912年)は、最初は水平運河方式で工事された。設計施行者は、スエズ運河(1859~1869年)開削に成功したレセップスで、マラリア対策とパナマ地峡の山岳開削に貧弱な機械力使用で失敗し、代ったアメリカのセオドア・ル―ズベルト政権の国策化とゴ―サルズ主任技師起用のアメリカ大陸開発の巨大土木機械力投入とマラリア撲滅の徹底した公衆衛生事業展開の総合で、建設開始から34年後の1912年に、階段式運河と大規模人造湖方式で成功した。世界最大土木大国アメリカでなければ実現不可能の事例で、土木工学は世界を改変する、土木の魅力を語る好例といえる(現在は通過船舶の急増と大型化で、旧運河に並行して、より規模の大きな第2パナマ運河が開削工事中で、工期7年間は大型土木技術の現代の発展を示している)。

写真5(左) パナマ運河地理図(出典『ウキペディア・パナマ運河』)

写真6(右) パナマ運河のガテュン閘門(出典『ウキペディア・パナマ運河』)

札幌農学校工学科(明治20年)第1期生の岡崎文吉(1872~1945年、岡山県出身)は、京都府知事から転勤してきた北垣国道北海道知事の主張で、田辺朔廊(1864~1944年、東京都出身)の京都市琵琶湖疏水(後述)の階段式運河を発展させて、日本最長の銭函茨戸運河、札幌創成運河を明治28(1895)年に完成させた。これはパナマ運河完成に先行すること17年も前で、北海道民はもっと誇りに思ってよい(この126年も前の運河遺構は石狩、銭函、手稲山口地区に現存しているので、アメリカの運河公園並みに歴史遺構として整備公開することが重要である(札幌市手稲山口地区では、山口運河として一部ウオーターフロントとして整備、公園化している)。

 

4.中国の巨大運河

巨大国家中国は、国家運営上で常に物流拡大の必要性に歴史的に迫られており、歴代の皇帝は大運河建設とその拡張整備に努力した。運河ルートは2大河川揚子江と黄河を繋ぐ、海岸の上海市と内陸の西安、北京市を結ぶ巨大な大運河体系で、唐の楊台帝の時代に現在の大運河体系が完成した。この竣工により、現在(2020年)14.4億人の人口を擁する中国の内陸輸送力は非常に拡大し、国家の政治経済の発展にこの大運河は今日も寄与している。中国では他の国の例のように、運河から鉄道・道路の陸上輸送の発展に代替後継することはなく、世界的にもヨーロッパに先進して古い運河(最古は西暦925年)が衰退せずに今日も大きな影響力を有して、運河技術最長寿国として特異的であることに注目することは重要な点である(これには、中国大陸自体が平坦で、掘削、維持管理の容易な水平運河船運体系を中心に出来る地形的特質もある)。

写真7 運河大国中国の大運河(出典『運河と閘門』)

5.イギリス・産業革命時のウエールズの運河遺構

最後に明治期の日本に直接影響を与えた、イギリス・ウエールズ地方(コンウエイ近郊のポンテカサクテ地区)の例を、筆者の国際会議参加経験(2000年第11回TICCIHイギリス会議、ロンドンほか)から具体的に示したい。イギリスも土木工学発展は国王の指揮に依ったことが決定的である典型事例で、その産業技術で大発展したイギリス産業革命が、大英帝国建設を目指すビクトリア時代(ビクトリア女王在位、1770~1850年)に生起した点で、イギリスは政治と土木工学の相互発展の典型的土木社会学的発展の歴史事例として重要である。ビクトリア時代のこの国家支援で、技術者群(ワット、ニューコメン、テルフォード、アークライト、スチーブンソン父子、ブルネルほか)は腕を振い、都市の産業齊本(製糸業、製鉄業、鉄道事業者他の企業家)が齊本提供した。この国策、財閥資金投入、大型技術開発、都市の労働者住宅建設、輸送体系確立は、国家主導の大規模産業発展には共通の「殖民地開発型技術発展」の内容そのもので、産業技術立国(日本、北海道、台湾)では必須の技術体系であり、その中心はこの大規模化が要求された土木技術であった。日本における「殖民地開発型技術」(コロニアル・テクノロジー、国策主導、財閥系齊本導入、大型海外技術導入、輸送網整備、拓殖政策による産業都市建設を中心とする大型技術)の展開地の北海道の開拓時代と日本領有時代(1895~1945年)の台湾の技術の形態、本質の分析は、地域の将来健全発展考察上今日重要である。

イギリスのこの時代の運河技術分析には、イギリス産業考古学会AIAの代表的研究者、コッソンズの総括本『産業考古学』(ダビッド・チャールズ社、1975年、翻訳なし)では、イギリスの運河発達の変遷図があり、1750、1850、1886年が示され、この3図から運河の最盛期が1850年で、以後衰退し、別の鉄道網発展図からも、運河体系は鉄道体系に急速に変換してゆく傾向が分かる。

 

<イギリスの運河遺構>

現在は、運河遺構は歴史的な遺産で運河巡りの観光用として残り、1万6千人のナロウボート所有者がおり、イギリスの重要産業観光資源として発展している。産業革命期の運河船は、幅1m、深さ50cmの狭い運河水路用のもので、幅70cm、長さ7mの馬曳き貨物運搬船でナローボートという。現在はエンジン航行船に改造され、観光では1週間単位で借用し水上生活し、レンタカー的に利用して運河巡りするもので、海外産業観光客に人気があり、産業革命期の舟運輸送体系の体験が出来る、形態復原と同時に作動原理復原も保有する、今日の遺産評価で重視される「動く蚕業遺産」の典型である。

 

写真8 ナロウボート(出典:『ウキペディア・ナロウボート』)

<ポンテカサクテの世界遺産運河遺構>

ポンテカサクテ地方は大きな自然河川も多く、高低差があるので、運河水路が自然河川を跨ぐ長大高架水道の好例がある(この高架水道の建設は1801年で、著名なイギリス産業革命推進者で、産業道路開発でも有名なテルフォードによる)。この長大で大規模の高架水道に繋がる水平運河水路が保存されている。現在整備され、運河巡りでは運河の高架水道上のナローボート航行(渓谷で空をゆくボート体験)も出来、世界遺産(2009年)認定もされた。この地区にはナローボート船溜、水上レストラン、博物館もあり、イギリス運河史の総合的歴史公園となっている。見所のテルフォード作のこの世界遺産の大型高架水道は、ウエールズ北東部ディ―川渓谷に架かるもので、高さ38m、長さ300mの水道橋である。橋脚部分がアーチ型石材造、高架水道部分が錬鉄製の樋でアスファルトで防水され、当時の産業革命の最先端構造物である。ディ―川渓谷に飛び出た高架水道を行くナローボートが大変に印象的光景であった。

北海道産業考古(遺産)学会長 山田大隆

北海道遺産協議会監事、産業考古学会理事、元酪農学園大学教授
<経歴>
・1946年9月26日北海道函館市生まれ(74歳)
・1965年北海道立札幌西高等学校卒業
・1965年北海道大学理類入学
・1969年北海道大学理学部高分子学科卒業
・1972年北海道大学大学院修士課程高分子学専攻修了
・1972年~1974年札幌市医師会看護学校講師(化学)
・1974年~1997年北海道札幌藻岩高等学校教諭(物理学)
・1997年~2007年北海道札幌開成高等学校教諭(物理学)
・1993年~2008年北海道教育大学札幌校非常勤講師(技術史・技術論)
・2003年~2007年酪農学園大学非常勤講師(科学史)
・2007年~2017年酪農学園大学教職センター教授(理科教育学、科学技術史、産業考古学)
・2017年~2018千歳科学技術大学非常勤講師(理科教育学)
・2018年~北海道大学総合博物館資料調査研究員(ボランティア)
<専門>
高分子溶液物理学、物理教育学、産業技術史学、博物館方法論、世界遺産論
<学会等役職歴>
・1997年~2003年北海道庁空知炭鉱の記憶推進委員会委員長
・2003年~北海道遺産協議会監事(2001,2004、2018年遺産選定委員)
・2008年(日本産業技術史学会)、2010年(産業考古学会)、2014年(日本科学史学会)総会全国大会実行委員長(会場酪農学園大学)
・2015年~2019年土木学会北海道支部後援・台湾土木遺産ツアー実行委員長
・2017年1月札樽地区測量設計協会新春講演会講師(産業考古学)
・2019年1月国交省北海道開発局函館開発建設部技術者フォーラム(函館市)基調講演講師(函館湾岸地域土木遺産と産業考古学)
・1997年~2007年北海道産業考古学会事務局長、2007年~同会長
・1997年~日本科学史学会北海道支部長、日本産業技術史学会理事
・2012年~産業考古学会理事(国際、組織担当)、2012年~2017年